IMSグループ(IMS、Itabashi Medical System)は35の病院、17の介護老健施設、8のクリニックをはじめとした様々な医療事業を展開する、東日本最大の医療法人グループだ。その中核病院となっているのが東京都板橋区にある板橋中央総合病院で、その院長を務めるのが新見能成氏だ。新見氏は麻酔科医を長らく務め、その後、“一本釣り”で板橋中央総合病院の副院長に呼ばれ、院長となった経緯を持つ。新見氏に病院経営や、麻酔科の面白さ、若手へのメッセージを聞いた。


豊田 先生が院長をお務めになっている板橋中央総合病院は、総合医療を提供する日本で最大級の医療法人グループ、IMS(イムス)グループの中核病院と思っていますが、そういう理解でよろしいでしょうか。

にいみ よしなり〇1980年順天堂大学医学部卒、82年東京女子医大心臓血圧研究所循環器内科研修生、87年順天堂大学麻酔科学教室大学院卒業、90年同大附属病院麻酔科学教室講師、医局長、93年帝京大学附属市原病院麻酔科学教室助教授、95年米Baylor College of Medicine Department of Surgery,Adjunct Associate Professor、96年同大Deputy Chief of the Surgical Research、2002年帝京大学附属板橋病院麻酔科学教室助教授を経て05年板橋中央総合病院副院長、麻酔科部長、07年同院院長、麻酔科部長兼任、現在に至る。日本麻酔科学会代議員や日本心臓血管麻酔学会理事を務める。院長業務の傍ら、心臓麻酔や体外循環、心エコーについての研究も手掛ける。

新見 はい、そうです。

豊田 中核となる病院の院長なられた経緯や普段どんなお仕事をなさっているのか、など、中核病院の院長がどういうことを背負っているのかをすごく知りたいと思っていまして。

新見 我々のグループは大きな法人で、急性期病院が20ぐらいあるほかに、回復期や慢性期病院、老健施設など全て併せると136の施設があります。そうしたグループの中核病院ですから、全ての施設の模範となり、ぐいぐいと引っ張っていく役割があると思っています。中でも人材の育成は重要なミッションです。

 当院で副院長を経験してもらった先生が何人もグループの病院の院長になっていまして、当院でIMSグループのスピリット、運営の方針とかやり方、判断基準などを学んでいただいて院長となって活躍してもらっています。

豊田 先生はどういった経緯でこちらの院長になられたんですか。板橋中央総合病院はどこかの大学と深い関係があるイメージはあまりないのですが。

新見 私が順天堂大学にいた頃、先輩が板橋中央総合病院に心臓外科を立ち上げることになりましてね。そのとき、「腕のある麻酔科医がほしいからちょっと手伝いに来てくれ」と言われまして。逆らえないものですから、「はい、分かりました」と言って(笑)。

豊田 なるほど。それはおいくつぐらいのときですか。

新見 34〜35歳ぐらいのときですね。それで心臓外科の立ち上げのお手伝いをして、その後も毎週1回こちらに来るような形でお世話になっていました。しばらくして私は順天堂大学から帝京大学に移ったのですが、移る間の3〜4カ間ぐらい、こちらに就職した時期もありました。

 その後、帝京大学に12年ほどいたのですが、声を掛けていただきましてね。新しい初期臨床研修制度も始まるし、教育もしっかりやっていく病院にしたいんだと誘われました。教授に話をしたところ、もうしばらく待てと言われました。

豊田 だいたいそう言われますよね(笑)。

新見 2年待って、「2年経ちましたが」と話をしたところ、「気持ちは分かった」と仰っていただけました。そして、副院長としてこちらに来たという経緯です。

豊田 それはおいくつのときですか。

新見 49歳でした。当時、副院長は3人いらしたんですが、皆さん私より10歳年上でした。若返らせたいという意図はあったと思います。

豊田 それで先生に白羽の矢が。なぜご自身が選ばれたと思われますか。先生が優秀だからということなのだとは思いますけれど(笑)。3〜4カ月間ほどの短い期間ですが、こちらに勤務されていた時、多大な貢献をなさったとか?

新見 確かに当時、麻酔科医の確保の点で少し問題がありましてね。しっかりと麻酔ができるような体制を整えようと頑張りました。そのときのことを覚えていたのかな。どうでしょう、自分ではよく分かりませんけれど。

豊田 でも、3〜4カ月勤務なさった時から副院長になられた時まで12年空いていますよね。すごい、12年越しのお誘いですか。

新見 その間も週1回ずつぐらい来てましたけどね。

豊田 では、聞き方を変えてみますが、もし今、病院で何か不測の事態があって、外から医師を確保しなければならないとしたら先生はどういう基準で選ばれますか?

新見 やっぱり責任感を見ます。あとはやっぱりノリというか、勢いというのもあると思うんですよ。人が動くことにはいろいろな要素があり、頭で動く人もいれば、お金で動く人、腹で動く人とか、ハートで動く人とかね。私の場合はやっぱりまずは腹とハートでという感じでしょうか。

豊田 腹とハート、なるほど。あまり腕前の方では選ばれない?

新見 それはもちろんある程度のレベルは欲しいですけれど。ただ、病院ではチームを作ってもらい、そのチームとして力が発揮できればいいのかなと思います。いくら腕前があっても、結局1人でできることには限界がありますから。

豊田 そうするとその辺が先生に対する評価でもあったわけですね、きっと。

新見 まあそうなのかもしれない。

豊田 院長になられたのは何年後でしょうか。

新見 51歳の時でしたから、2年後ですね。

豊田 先生は大学で医局の運営に関わってこられたとは思うのですが、それでも大きな組織を切り盛りするようなご経験はあまりなかったのではないかと思うのですが。

新見 大学の医局には順天堂大学、帝京大学と併せて25年在籍しましたが、どちらもトップとしてやってきたわけではありませんから、最初話をもらったときに、「やれるかどうか自分で分からないので少し考えさせてほしい」と言ったんです。ただ中村哲也理事長(当時院長)に、「積極的に『はい、僕やります』、という人間に任せたいんだ」と言われましてね。「そうですか、では」という感じだったと思います。

 ただ、私は当時、院長が何をすべきか、よく知らなかったので、就任してから一からじっくりと考えたんです。何よりまず病院の構造を考えてみました。

豊田 構造というのは組織のことですか。

新見 組織の構造ですね。お城でいうと石垣に当たる部分は、病院でいうと麻酔科だったり放射線科とか、病理科、リハ科などですよね。要するにいろいろな科が共通してかかわるような診療科が石垣の部分。ここがしっかりすることが病院にとって一番大事なことだろうと思ったのです。さらにそれを含めて全体を支える土台となる事務とか、看護部とか、薬剤部、栄養科なども大切ですね。

豊田 土台、石垣をしっかりさせることが院長の仕事だと。

新見 ええ。その部分をしっかりさせれば、具体的には使いやすくすれば、上に乗っている診療科は非常に働きやすいんですよ。また、石垣が崩れてしまうと上はみんな倒れてしまいますけど、石垣がしっかりしていれば、上の診療科は1つが倒れてもまたつくり直せるのではないかと。そういう発想で病院を整備していきました。逆に石垣が崩れてしまっている病院は危ういですよね。

豊田 脳外や心臓外科といった“派手な”診療科ってありますよね。そして、その派手な科のエースみたいな先生が院長になって、ぐいぐい引っ張っていくというパターンもあるのではないでしょうか。

新見 もちろんそういう形でうまく行くこともあるでしょう。ただ、そういうケースは通常医師数が30人ぐらいまでの病院だと思うんです。当院みたいに医師数が160人もいますと、“エース”は何人もいますから。

豊田 なるほど。何人もいるということは、いないに等しいのかもしれません。

新見 病院全体に目配せすることが何より大切ですからね。