2012年から日本医師会会長として様々な活動を率いてきた横倉義武氏。心臓血管外科医を経て地域医療に活躍してきた横倉氏は医療の今後をどう見ているのだろうか。


豊田 先生が医師になられた時代と比べて今の医療をどうお感じになりますか。

よこくら よしたけ〇1944年生まれ。1969年久留米大学医学部卒業。同年久留米大学第2外科助手、77年ドイツミュンスター大学教育病院デトモルト病院外科、80年久留米大学医学部講師を経て83年に医療法人弘恵会ヨコクラ病院。90年同院院長、97年同院理事長・院長、2015年から同院理事長で現在に至る。90年福岡県医師会理事、98年同専務理事、02年同副会長、06年同会長。02年日本医師会代議員、10年同副会長を経て12年から会長。

横倉 今、振り返ってみると、昭和から平成に変わるときが、医療が大きく転換した時期でもあったなという思いがしています。一つは医師(医療者)と患者の関係の変化です。それまではどちらかというとパターナリズムに近いものでした。パターナリズムは、強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のためだとして本人の意思に反してでも行動に介入・干渉することをいいますが、国民もそれを納得していた時代でした。

 その後、いろいろな医療情報などが非常に頻繁に世に出回るようになり、国民がいろいろなことを知るようになりました。

 そこで、インフォームドコンセントの重要性が取り上げられ、日本医師会でもインフォームドコンセントという言葉をどう日本語に変換するか議論し、「説明と同意」という表現にしました。一方でそれでは不十分だという意見も出てくるなど、多くの議論が続いていますが、ともかくそういった、医師・患者関係の転換があったことは事実です。

 ちなみに、私は今、医師と患者さんは、病気と闘う同志であると考えています。病気と闘うのは患者さんです。我々医師はあくまでもそれをサポートしていく立場であるべきだと思います。

 私は外科医でしたから、自分の領域で言えば、術式が大きく変わっていった時代でもあります。腹腔鏡をはじめとして内視鏡手術が、30年間で大きく変化しました。当初、腹腔鏡手術は、胆嚢摘出術という胆石の手術に用いることでスタートしましたが、対象疾患がどんどん拡大していったわけです。今や、手術支援ロボットda Vinciのような補助手段が登場しました。da Vinciは遠隔、つまり術者が手術室内にいなくても施術可能な方法論ですし、大きな変化が起こっていると思います。

 もう一つは、血管の疾患です。血管内のカテーテル治療は最初は末梢血管が対象でした。Gruentzigというドイツ人の医師がカテーテルを開発し、バルーンで末梢血管の狭窄を拡張することに成功しました。

豊田 下肢閉塞性動脈硬化症(ASO)ですか。

横倉 そうです。ASOで始まって、今や心筋梗塞にしても狭心症にしても、まずはカテーテル治療が第一選択になりました。

豊田 ここ20年ぐらいの動きですね。

横倉 そう。これは患者さんにとって大変な朗報です。それまでは開胸してバイパス術を施行していましたが、それに比べると侵襲、負担が少ないですから。そういう転換期だったと思います。

 癌の治療にしても、従来は拡大切除術が中心でした。乳癌にしてもかなり広範囲に切除していたし、胃癌にしても切除範囲は大きかった。それが、内視鏡の技術と医師の技量が高まり、早期診断ができるようになりましたし、早期胃癌などでは経内視鏡的粘膜切除で治療が終わることもあります。機能的な障害は全く残らないようになり、やがて機能を温存できるような術式をもっと考えていこうという流れに変わってきたわけです。

 そして今は免疫学の進歩により、オプジーボ(一般名ニボルマブ)のような素晴らしい薬剤が登場した。そのような医学の進歩ですよね。われわれ医師にとって、日々進歩している医療、医学、医術を一般国民にしっかりと提供できるか、その環境をどうつくり上げていくかということが非常に重要だと思います。

豊田 振り返れば、私が小学校のときのドラマなどでは、「お父さんは胃癌だけど、胃潰瘍ということにみんなでしましょう」なんて話が当たり前でした。

横倉 癌の告知が当たり前になってきたのは平成に入ってからですね。昭和の時代は、患者本人に告知するかどうかを家族に相談して、告知しないことも多かった。

豊田 今では信じられないことです。今、そんなことをしたら問題になります。

横倉 今や、医療者が一緒になって癌の治療を進めていくのが当たり前です。そのためにも、患者本人に告知して、治療についても「こういう選択肢がありますよ」という話をしていくのが当たり前の時代です。

豊田 この20年、30年で医療が大きく変化してきましたが、この先も、同じぐらいの大きな変化が医療に起こるでしょうか。

横倉 私は起きると思いますね。診断だって、画像技術の向上で急速に進歩したでしょう。昭和55年ぐらいからの動きですよ。当時は交通事故が非常に多かったので、最初は交通事故の頭部外傷の早期診断に役立てるため、損害保険会社の基金を活用して基幹病院にCTを設置するという動きがありました。それから急速にCTは発展し、広がっていきましたね

豊田 今や情報技術(IT)や人工知能(AI)に対する期待が高まり、大きな変化が起こるのではないかと思います。患者情報についてID、マイナンバーのようなものを使ってデータを共有しようという動きも出てきています。それは地域包括ネットワークにも関係する話ではないかと思っています。

 ただ、個人的には、高度な技術を使った治療機器は次々と登場していますが、その前に、患者さんをどう医療に巻き込むかというところが大事なのではないかと思っているのですが。

横倉 発想が逆ですよ。患者さんを医療に巻き込むというよりも、医療を必要とするのは患者さんであり、医療者ではありません。そこをしっかり押さえておかなければいけません。患者さんが医療を必要とするから、われわれはいろいろな開発をしていくのです。何のために開発していくかといえば、患者さんの幸福のためです。そこのところをしっかりと押さえておかないと、いろいろな技術の発達の中で、患者さんを不幸にしていくことだってありえます。そうならないようにしなければいけない。

豊田 確かに私は脳外科医として治療をしていて、何のために医療をやっているのか、途中で疑問を感じてしまいました。自己満足というか、医者のための医療になっていないかと、強く感じたのです。
 
 先生の仰るとおり、医療は患者さんとその家族を幸せにするための手段でしかないと思います。医療が目的になってはいけないと。医療はものすごく進化した一方で、本当に患者さんは進歩と同じぐらいどんどん幸せになっていっているかというと、そこにギャップがあるように感じます。

横倉 それが今の医学教育の誤りだと思います。医学教育の基本に、医の倫理というものをしっかり学んでもらう。医師・患者関係はどうあるべきかということをしっかり学ぶ必要があります。私も十数年、大学病院で若い医師と一緒に仕事しながら学生にも教えていましたが、どうしても自分の専門分野の進歩のところを話したくなります。しかし、進歩する話ばかりでなく、基本を十分理解してもらわなければなりません。

 われわれがいつも気にしておかなければいけないのはMad medicineというか、Madな医学、医療についての警戒心です。

 今日も日本医師会として記者会見をしますが、例えば臍帯血の問題。臍帯血に含まれる幹細胞を使って癌治療や美容に応用するという自由診療が問題になりましたが、これは医療の倫理、生命倫理から考えると、あってはならないことです。若い医師たちにもそういった倫理観をしっかり身につけてもらい、なぜ自分が医者になったかという思いをしっかり認識していてもらいたいと思います。

豊田 われわれの会社は「納得できる医療を」というビジョンを掲げています。これからの医療のキーワードは「納得」だと思っていまして、患者さんやご家族が納得することが大事だと思うのです。インフォームドコンセントをどう訳すかという議論と近いですが、“同意”のさらに一歩先の“納得感”を持って患者さんや家族が治療を受けていくにはどうしたらよいのか、と考えています。それには、患者さんがもっと強くなる、言い方は変かもしれませんが、もっと患者さんが主体的に、自らよく理解した上で治療に臨んでほしいと思っています。

横倉 病と闘うのは患者さんですからね。患者さんに病と闘ってもらうために、われわれ医師はサポートしなければいけない。

豊田 そのためにも私の会社では、患者さんへの情報提供を始め、様々なことに取り組んでいます。納得感を持った患者さんと治療をともに進めていけるのが医療従事者冥利に尽きると思っていまして。

横倉 医療とは本来そうあるべきですよ。私は15年ぐらい大学で、心臓外科を中心として学んだ後に、地元で地域医療に従事してきました。いろいろな場面にも出会ってきましたよ。当時、心臓手術の周術期死亡率は10%近かった。そんなときでも患者さんに病と闘ってもらわなければならなかった。だからいかに死亡率を下げるか、という研究にも取り組みましたよ。

豊田 大学病院の心臓外科は医療の最先端だと思います。その第一線とともに地域医療にも関わってこられました。その両者の間の違いなどを感じられましたか。

横倉 地域医療は、患者さんの生活そのものをいかに支えるかということです。大学病院は、病気を持った方を元気にして家庭にお返しするための医療ですが、お返しするところで終わっていた。