開業当初は医師会に全く参加していなかったと語る千葉県医師会会長の田畑陽一郎氏(明生会東葉クリニック理事長)。外科医として手術をしつつ、透析もこなしてきた田畑氏は、住民に近い医療を目指して開業した。都道府県医師会の医師会長として医療の将来をどのように見ているのだろうか。


豊田 千葉県は、東京都に近く都心を向いている住民と房総半島を中心に地域で暮らす住民がいて、医療に対するニーズも違うような気がしています。そうした県の医師会ならではの特徴や県医師会長としてのご苦労があるのではないかと思っています。

たばた よういちろう〇1971年3月千葉大学医学部卒業、同年4月千葉大学第二外科入局、73年4月社会保険船橋中央病院外科、74年千葉大学第二外科、77年社会保険船橋中央病院外科、78年米国Yele大学医学部留学、79年カナダMcGill大学医学部留学、80年千葉大学第二外科助手、81年放射線医学総合研究所病院部外科部長(大学から出向)、84年国保成東病院外科部長(大学から出向)、86年千葉大学医学部第二外科助手兼千葉大学医学部附属病院人工腎臓部室長、90年県立東金病院外科部長(大学から出向)を経て91年11月に東葉クリニックを開業、院長に就任。92年に医療法人社団明生会理事長に就任し現在に至る。2004年山武郡市医師会会長、2010年千葉県医師会理事、12年千葉県医師会副会長を経て14年より千葉県医師会長就任。12年から日本医師会代議員。

田畑 確かに千葉県は人口構成を考えると、千葉市から西側は東京に近いことも関係していて、未だ人口が増加している地域も多く、且つ高齢化が著しく進展している地域でもあります。一方、東側は人口が減少傾向にあり、高齢化についてはゆるやかに進展してきております。また、古くからクリニックを経営されている方が多く、患者さんとずっと一緒に暮らしているといった感じですね。昔から家のカギを掛けなくても大丈夫などと言われたりしますから。そういう点でカルチャーが違っていて、いわば日本の縮図とも言えるかもしれませんが、まあ面白いですよ。

 私が開業したのは45歳のとき、東金市という九十九里浜の近くで、大森耕一郎先生と一緒に開業しました。1991年11月11日、陽一郎と耕一郎で8つの「一」だと言ってましてね。

豊田 それまでのご専門は?

田畑 もともと中山恒明先生(その後、佐藤博先生)が率いておられた千葉大学第二外科です。その頃は食道から肛門まで全ての手術のほか、急性腎不全や急性肝不全、薬物中毒なんかも診療していました。昔は無給の時代でしたから、月4、5回のバイトで食いつないできましたけれど、1回行けば10万円ほどもらえましたから、月収で考えるとまあまあの生活ができましたよね。45歳までそんな生活でしたよ。

豊田 それは国立大学の病院だったからなのでしょうか。

田畑 それもありますけれど、当時は医師として修行の身なのだからお金を稼ぐよりも勉強しろって時代でしたからね。大学=勉強と貧乏は当たり前でしたね。

豊田 先生は45歳で開業する前、1年間は県立病院に出られたと伺いますが、それ以外はずっと大学にいらっしゃいました。どういう経緯で開業に至ったのでしょうか。昔はある程度貧乏しながらも頑張って、開業することが成功の証の1つだったとか。

田畑 総合病院に移ることなどを考えましたが、学生のときに見学に行って、総合病院の院長がいかに大変かということを感じたのです。普通の会社であれば社長の命令でいろいろとできることがありますが、総合病院の場合、責任は重いけれど、たくさんの医師がそれぞれ自分の考えがありますからね(笑)。自分には合わないなと思って、仕方なく開業を選びました。

 千葉大学で外科医だった頃、透析も担当していたのです。当時はまだ透析は大学でも外科でやっていましたからね。開業して外科手術をやっていくとなると大変ですし、一人ではできませんからメスはあきらめて。透析ならばできるだろうと大森先生と二人で始めたのです。

豊田 当時はバブル経済のまっただ中で、大変だったと伺います。

田畑 土地がとても高かったので。今は金利が安くてその点だけをみると開業にはいい時期です。

豊田 なるほど。医師会の集まりでは大変なんですか?(笑)

田畑 それぞれ経営をしていて苦労することもあるし、子供の悩みもあるだろうし、同じ経営者として相談できることは医師会に参加することのメリットだと思いますね。

 こういう私も開業して早々の頃は医師会のことはよく分からなかったのです。地区の医師会に挨拶も行かなかったので。開業して10年経った頃かな、行かないとまずいかなと思って顔を出しました。

 そうしたらまず先輩だと思われる先生に怒られましてね。「いつまで来ないんだ?」って。ただ後から知ったのはその先生は私の後輩だったんですけどね。それはともかく、そこからまじめに毎回参加するようになりました。

 そうしたら、当時の地区医師会長が私のところに来て「先生、僕の代わりにやってくれませんか」ってね。その先生は、長く地区医師会長を務めた方の後任の先生だったのですが、1期だけなさって、すぐに私にバトンタッチされました。

豊田 医師会に入る前と入った後で医師会に対するイメージは違いましたか。

田畑 全然違いましたね。初めは怖いところだと思っていたけれど、今は楽しくて仕方がありません。私が所属している山武郡市医師会は、田舎の医師会だからお互いに仲が良いし、飲食の機会も多いですから。気がついたら5期、会長を務めましたけどね。その後、千葉県医師会の理事、副会長を経て現在会長という大役を拝命致しております。

豊田 医師会長というのは普段、どんなことをなさっているのでしょうか。