西日本の都市部に立地するA内科クリニックでは、開業時に自院のホームページを開設しなかった。コンサルタントからはホームページやブログの開設を強く勧められたが、来院患者として想定していたのはインターネットを日常的に利用しない高齢者層であり、開設のメリットは少ないと判断した。

 それに院長は、もともと医学の勉強や診療面以外のことでインターネットを利用するのが好きではなかった。他人のブログを見たいとは思わないし、更新していくのは面倒だ。10年近く前には、ある病院長のブログが炎上したらしいし、ついうっかり書いてはいけないことを書きそうで怖い——。院長はそう考えた。結局、今に至るまでホームページもブログも開設していない。

 スマートフォンにもあまり興味はなかったが、こればかりはよく知らないでは済まされない。経営者として若い職員を雇う以上、彼女たちが日常的に使っているスマホのことを理解し、院内での使用に関するルールを作らなければならないからだ。

 開業時には、携帯電話やスマホが発する電波が医療機器に影響を与える恐れがあると考え、患者・職員とも待合室での使用を一切禁止した。職員には、勤務時間中は私物ロッカーに入れておくように口答で指導した。

 子どもを保育所に預けている職員から、「保育所から緊急の連絡があるかもしれないので常に所持していたい」と言われたが、勤務時間中は診療所を連絡先にしておけばいいし、休憩時間まで使用を規制するものではないと伝え、分かってもらえた。

待合室での利用を注意したものの…
 昨年、インフルエンザの予防接種が始まる前に受付職員を増員する必要があったので、求人を行い、診療所の受付の経験が豊富で愛想が良い20歳代後半のB子を採用した。

 B子の勤務初日、院長は他の職員から、「B子がスマホをロッカーに入れないで持ち歩いている」との報告を受けた。そこで早速、注意するため、昼休みにB子を院長室に呼んだ。

 「今、スマホをポケットに入れていますか?」と尋ねると、B子は「はい」とポケットから取り出した。院長が「勤務時間中の利用は禁止しているし、患者に対しても待合室での利用は禁止している。午後からはロッカーにしまってほしい」と注意したところ、「スマホは腕時計代わりに使っているんです。受付に時計がないので時刻が確認できません」と、反論してきた。

 そう言われると、確かに待合室の時計は患者からは見やすい位置に掛けているが、職員からは見えない。院長は「それならば、待合のカウンターに時計を置くようにします」と伝えた。

就業規則に利用ルールを盛り込む
 だが、話はこれで終わらなかった。不満が収まらない様子のB子が、「院長はご存じないかもしれませんが、患者さんはみんなスマホをいじっていますよ。他のスタッフは何の注意もしていなくて、てっきり待合室での利用を認めているんだと思っていました」と、チクリと言ってきたのだ。

 「ちょっと前に、医療機関の待合室でもメールやネットの閲覧なら大丈夫というニュースが流れていましたよね。前の勤め先の診療所では待合室での利用を認めていましたし、ここの医院でも認めてもいいんじゃないですか?」とB子は続けた。

 B子が口にしたのは、2014年8月に電波環境協議会が公表した「医療機関における携帯電話等の使用に関する指針」のことだ。院長が早速調べてみたところ、B子が言う通り、待合室は「通常は医用電気機器が存在しないエリアであるため、マナーには配慮しつつ、通話等を含めて使用可能とすることができる。ただし、医用電気機器を使用している患者がいる場合、医用電気機器から設定された離隔距離以上離すこと」などと記されている。

 B子の“反撃”にたじたじとなった院長だったが、結果的に、自身の不得手とする分野の知識を得ることができた。院長は、待合室の患者向けの掲示内容を、協議会の指針に則って「待合室での携帯電話(スマホ)の利用はメールなどに限って認めるが、通話はマナーの観点から遠慮していただきたい」という内容に変更することにした。

 B子は「手が空いているときは、私たち職員もちょっとくらいスマホを触ってもいいと思うんですけど」と、なおも不満そうだったが、職員の使用については職務専念義務(労働契約法第3条第4項)の観点から引き続き禁止することにした。後の就業規則改定のタイミングに合わせて、勤務中の使用を禁止するルールを服務心得の欄にも明示し、違反した場合には訓戒などの懲戒処分の対象になり得るという内容も付け加えた。