Illustration:ソリマチアキラ

 ある日のこと、いつものように社長室で仕事をしていたら、社員が「〇〇のT様がいらっしゃっています」と声を掛けてきた。

 驚いてそちらを見ると、ボクがMRの頃に担当していた大学病院でいつも顔を合わせていた、ライバル会社のMRだったTさんがニコニコして立っていた。三十数年ぶりくらいだろうか。懐かしさと訪ねてきてくれたうれしさで、ボクは駆け寄って彼を部屋へ招き入れた。

 「いやぁ、懐かしいなあ。今どうしているの?」というボクの質問に、彼は「子会社で部長をやってるよ」と答えた。あの頃の営業成績を思うと、もっと出世していてもよさそうだと思ったが、世の中、そんなに甘くないらしい。「へぇ〜、そうなんだ」と言いながら、ボクは少しだけ優越感を覚えた。

 ボクは、それほど根に持つ人間ではない(はずだ)が、人生の中でいつかギャフンと言わせたいと思っている人が何人かいる。そのうちの1人が、まさに今、ボクの目の前にいるT氏だ。

 自慢じゃないが、ボクは某外資系製薬会社のトップ営業マンだった。もちろん、医師に自社製品の処方を促すのが一番のミッションだが、その領域の薬を一番知っているのは自分だと自負していたし、薬学的データに基づいて「あの症例には高い有効率が見込めるので、ぜひ使ってほしい」と自信満々に医師と渡り合った。

 医師は一度、薬の効果を実感すれば、同様の症例に何回でも使うようになる。反対に効果がないと思えば、二度と使ってくれないどころか挨拶もしてもらえなくなる。ボクは、そんなリスキーな症例の治療薬の営業を得意としていた。

 当時、ボクと同様に、大きな顔で医局に出入りしている男がいた。それがT氏だ。彼の強みは、とにかくフィールドにいること。朝6時半から夜10時まで、いついかなるときにも彼は病院にいた。一方のボクは、MR職に人生を捧げるつもりはまるでなく、一殺必中タイプ。「コツコツ」対「一殺必中」の攻防は、熾烈(しれつ)を極めた。が、彼の会社は、その領域の薬をラインで持っていたのに対し、ボクの会社は一部の薬しかなかった。そのせいにはしたくないが、ボクはかなりの確率で負けていた。

 ボクの華麗なるMR人生の中で、あれほど負けた相手は彼しかいない。彼がいなければ、ボクはもっと成績を上げて、若いうちに大出世して、ひょっとすると会社を辞めていなかったかもしれない。人生なんて、そんなもんだ。

 そのT氏が訪ねてきてくれたのだ。うれしくて、その晩は早速、酒を酌み交わし、旧交を温め合う中で、驚くべき話を聞いた。当時はちっとも知らなかったのだが、なんとT氏は薬剤師なのだという。そして来年定年を迎えるので、そろそろ次の職を探そうと思っているという。

 それを聞いてボクは、すかさず「せっかく薬剤師免許を持っているのだから、それを使う準備でもしたらいいんじゃないの?土曜日だけでもうちの会社に来たら?」と誘ったところ、T氏はまんざらでもなさそうな様子...というのはボクの頭の中の想像。T氏に対する闘争心がメラメラと湧き上がってきた。男の戦いは未だ終わっていなかったのだ。

 MR時代の営業では負けたが、人生劇場で勝ってやる。飛んで火に入る夏の虫! T氏をいたぶるチャンス到来。頑張って社長をやっていてよかったと、つまらぬ優越感を抱くボクがいる。(長作屋)