A診療所は郊外に立地する内科診療所である。患者用の駐車場の他、職員用の駐車場が少し離れた場所にあるが、先日、職員駐車場に止めていたスタッフB子の自家用車が車上荒らしの被害に遭った。座席にカバンを置いたままにしていたため、窓ガラスを割られてカバンの中にあった私物を盗られてしまったようだ。
B子は警察に盗難届を出した。顔見知りによる犯行ではないかと疑ったB子は、近くの商店の防犯カメラに見覚えのある者が映っていないか知りたいとのことで、院長が商店まで付いて行って防犯カメラの映像提供を依頼したが、協力は得られなかった。
院長は落ち込んでいるB子を慰めたが、院長が「これからは、車の中に物を置くのであれば、窓から見えないようにするかトランクに入れておかなければ」と諭したところ、B子の顔つきが変わった。「どうして、うちは駐車場に防犯カメラがないんですか。今のご時世、どこにでも防犯カメラはあるし、クリニックから離れた場所にある駐車場なら、なおのこと被害に遭いやすいから、設置すべきだったのではないですか」と問い詰めるような口調で言葉を返してきたのだ。
確かに、街を歩いていても数多くの防犯カメラを見かけるし、街中のカメラのおかげで犯罪者の逮捕につながったというニュースは院長もしばしば耳にしていた。しかし、まさかB子の不満の矛先が自身に向けられるとは思いもしなかったので、院長は驚いた。今後どう対処すればよいのか分からなかった院長は、知人に紹介してもらった社会保険労務士に相談してみることにした。
マイカー通勤関連のルールがないことが判明
郊外の診療所では、職員の自家用車による通勤は当然の光景として見られ、患者用以外に職員用の駐車場を用意しているところが多い。それなりの数の職員がいれば、敷地内や隣接地の駐車スペースでは足りず、やや離れた場所に駐車場を用意することになる。A診療所も、少し離れた場所に確保していたが、自院から視界に入らないことが災いしたのか、車上荒らしの被害を受けてしまった。
社会保険労務士が状況を確認したところ、A診療所ではマイカー通勤や駐車場の管理に関するルールが整備されていないことが分かった。労務管理の観点からは、まずはマイカー通勤に関するルールを整備し、その延長線上で駐車場内のルールも設定することが望ましい。
例えば、マイカー通勤については、有効な運転免許証を有しており、かつ一定水準以上の任意保険(例:対人○○万円以上、対物○○万円以上)に加入していることを条件に容認。定期的に状況を確認するといった管理は、ある程度の規模の企業であれば普通に行っている。これは、何かトラブルがあった際に民法上の使用者責任を問われないようにするためでもある。民法第715条第1項では、「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない」と規定している。
しかし、小規模の診療所の場合、「うちは大企業ではないので」などとして、こうした通勤関連のルールを整備していないケースが少なくないのが実情だ。
ダミーの防犯カメラを設置
駐車場内でも、近所迷惑にならないよう大声での会話を禁じたり、自家用車の窓を開けて大音量で音楽を聴いたりすることを禁じている企業もある。また、マイカー通勤管理規程において、従業員同士の駐車場内の事故やトラブルは当事者間で解決を図るものとして、事業者は責任は負わないとしていることも多い(関連記事:「マイカー通勤の職員の事故、院長にも責任あり?」)。
そうした話を社会保険労務士から教えてもらった院長は、診療所側の管理も不十分であったことを痛感し、対策を講じることにした。まず、駐車場に防犯カメラを設置しようと考えたが、ランニングコストの負担がそれなりに生じることから、まずは業者に依頼してダミーのカメラを設置し「防犯カメラ作動中」というステッカーを貼ってもらった。最近では、精巧に作られたダミーのカメラが発売されており、ダミーとは分からないように工夫して設置してくれる会社もある。
また、これまで整備していなかったマイカー通勤管理規程を整備し、通勤の許可基準を定めるとともに、駐車場内のトラブルは一切責任を負わないことをルール化した。ただ、B子の車上荒らしの被害は、この規定を作る前に生じたことなので、「管理をしていなかった診療所側の落ち度もあった」としてB子には特例的にお見舞金を支払うことにした。犯人はいまだ見つかっていないが、その後、B子から院長への不満の声は届いていないという。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。