Illustration:ソリマチアキラ

 ボクは、医療系の有資格者ではない。だからこそかもしれないが、医療に対する憧れのようなものがある。薬剤師に対しても、「医療者としてこうあってほしい」という気持ちが強い。

 「医師ってすごいな」——。大学を卒業して製薬会社のプロパー(今で言うMR)になり、最初に心の底からそう思ったのは、大学病院で働く女性医師A先生の働きぶりを見たときだった。

 A先生は卒後6年目。その大学の産婦人科の医局では、卒後6年目の医師は病棟チーフとして研修医を含めた1~5年目までの後輩医師の面倒を見るのが習わしだった。病棟では1人の医師が6人程度の患者を担当。病棟チーフは自分の患者も含め、全患者の状態を常に把握しておかなければならない。

 ある日の夜10時ごろ、ボクがカンファレンスルームのドアを開けてA先生の席を見たところ、いつものようにA先生の姿が見えた。A先生は、ふくよかで性格もおおらかで豪快、肝っ玉母さん風の人だ。そのA先生の大きな背中が、少し揺れている。見ると、デスクの左側にはパレットが置いてあり、そこには手術で摘出したばかりの検体が乗っていた。先生は左手に持ったピンセットで検体を裏返したり持ち上げたりしている。斜め右にはカルテが置かれ(当時は紙カルテ)、どうやら先生は検体を見ながら腫瘍の広がりをオペ記事(手術記録)に図解しているようだった。

 驚いたのは、先生の正面に夜8時からの薬の説明会でボクたちが出した豪華弁当が置かれていたことだ。先生は箸とペンを交互に持ち替えながら、オペ記事を書きながら、お弁当を食べながら、なんと半分寝ていたのだ。

 A先生に限らず若手医師は、1週間以上家に帰っていなかったり、半年間休んでいないなんてザラだった。今なら「ブラック職場」と言われるだろう。だが、若手は一様に過酷な時間を過ごし、医師としての経験を積んでいた。それほどまでして働くのはなぜか。それは、自分が経験を積めばそれだけ救える患者が増えることを知っているからだろう。医療職にとって働くことは学ぶことなのだ。

 自分の生活を犠牲にしてボロボロになりながら、働き学ぶことが良いとは決して思わない。医師の働き方だって随分変わってきていると聞く。それでも若手医師の勉強量は、薬剤師とは比較にならないだろう。

 4月、新入社員の入社式でボクは新人薬剤師たちに毎年、「目の前に平たんな道と急な坂道があったなら、迷わず急な坂道を選んでほしい」と伝え続けている。医療者として、時には時間を忘れて、1人の患者のために文献やガイドラインを読みあさったり、薬局内でディスカッションする気持ちを持ってほしいと思っているからだ。それが薬剤師としての人生の財産になるのだと。

 でもボクは、医師たちが過酷な環境の中で仕事や勉強を続けるのには、他にも理由があると思っている。それは医師という職業の社会的な地位や金銭的なリターンが大きいことだ。これらもモチベーションになっていることは否めないだろう。薬剤師の待遇を社会的にも金銭的にも今以上に恵まれたものにすること。薬剤師に「頑張れ」と言う以上、薬局経営者はその努力を怠ってはいけないのではないか。入社してくれた、今年の新人たちを前にしてそんなことを思ったボクだった。(長作屋)