Illustration:ソリマチアキラ

 前回、ついボクの会社にスカウトしてしまったAくんの話をしたが、今回はその続きだ。

 Aくんは、爽やかな体育会系青年で、元自動車販売会社のトップセールスマン。医療に関してはド素人なので、入社後は店舗での研修から始めてもらった。調剤サポートでは薬の名前が覚えられず、7の段の掛け算にてこずったようだ。しかし、受付業務では本領発揮、笑顔を振りまき、あっという間に患者さんたちの心をつかんでいた。さらに週に1回、ボクが薬局業界のことや、組織運営、営業の極意を教える塾も始めた。例えば先日は、コンサルティングセールストーク(CST)について。外資系の製薬会社では、相手から「イエス」を得るためのトークをたたき込まれる。Aくんは、目を丸くしながら聞いていた。

 1カ月が過ぎたころ、Aくんが「社会人になって、こんなに丁寧に色々と教えてもらったのは初めてです」と話した。前職では、仕事はほとんど個人プレーで、上司の課長は「いいから売ってこい!」の一点張り。販売戦略はなく、足を運んで顧客に気に入られるしかない。売り上げ目標に達しないと定例会議で皆の前で「給料返せ!」と叱責され、クレームやトラブルは「担当のお前が何とかしてこい」と言われ、1人で謝りに行くのが常という、何とも昭和な世界らしい。

 一方、薬局では手取り足取り業務を教えてくれる。九九の練習をさせられたり、早見表を作ってくれた先輩もいたらしい。万一、エラーを起こした場合は「絶対に1人で対処しようとするな」と教えられる。社長直伝の戦略的な営業トークを教えてもらえるのも、彼にとっては感動的なことらしい。

 そんな彼の目下の悩みは、「みんな優しすぎて、何を原動力に頑張ればいいのかよく分からない」こと。以前は、「この契約が取れないと課長に怒られる」「ここで踏ん張れば、目標が達成できる」というのがモチベーションになっていた。しかし今は怒鳴り散らす課長はいないし、ライバルもおらず、モチベーションが保ちにくいのだという。営業職たるもの、目標とそれを達成しようという強い意思がないと成績は上がらない。ビジョンやミッションは大切だが、やはり目の前の数字が分かりやすい。

 そこで、ボクは営業職の給与体系にインセンティブを組み込むことにした(営業職はAくんだけだが)。年間目標を達成すれば、通常の昇給に加えて3000円/月を基本給に上乗せするというものだ。その話をしたときの彼の反応は薄かった。「1年間死ぬほど頑張って(死なないが)たった3000円のプラス昇給か」という彼のつぶやきが透けて見えた。そこですかさず「うちの会社は、ボーナスを含めると年収は月給の16カ月分、つまり年間4万8000円の昇給になるんだぞ。毎年、目標を達成すれば、定年まででいくらになるか、計算してみろ」とボク。彼は30歳で、65歳の定年まで35年ある。4万8000円×(35+34+33+32+……1)、毎年、達成し続けるとおよそ3000万円!、郊外にマンションが買える額だ!!

 そう伝えた途端、彼の眼が急に輝きを帯び、街へと飛び出していった。最近のメールには「一軒家の頭金をためて、自分が売っていたような車に家族を乗せられるよう、頑張ります!」と書いてあった。社内に、昭和の風が吹き始めている。(長作屋)