イラスト:畠中 美幸

 A整形外科診療所のB院長。この春に定期昇給を行ったが、職員のC子から生活が苦しいので、もう少し賃金を上げてほしいとの要望があった。

 A整形外科診療所では、毎年4月に定期昇給を行い、今年も例年通り正職員に対して4000円程度の定期昇給を行った。ところが、この定期昇給額にC子は不満を抱え、もう少し引き上げるべきではないかと同調を求め、職場内のあちこちで不満を述べているということを事務主任のD子が教えてくれた。

 実際、この物価高でインフレ手当と称した手当を付与したり、人材確保難を背景に初任給を大幅に引き上げるなど、知名度の高い企業が軒並みこうした対応を取っていたことは報道においてもよく耳にした。そのため、C子は自分の勤務先でも、定期昇給以外に何か対策を講じてくれるのではないかと思っていたようだ。

 ところが、A整形外科診療所のB院長は、「あれは大企業がやっていることで、当院には関係がない」と取り合わず、何も手を打つことなく例年通りの昇給とした。それに不満を持ったC子は、「私たちのことをしっかりと考えてくれない」「この物価高で、どうやって生活すればよいというの」と他の事務職員やリハビリ職員に訴え、ついにはB院長に直接、賃金引き上げの申し立てをしたのだった。

 確かに、電気やガスの料金などは軒並み大幅に引き上げられ、電気代が1カ月当たり3万円を超えたといった人も、周りを見渡すと、いたほどである。また、スーパーなどのモノの値段も引き上げられていることは日常生活でも感じるところであり、総務省発表(2023年4月21日)の消費者物価総合指数は前年同月比3.2%増と報道されていることから、生活圧迫要因が生じていることは統計上のデータからも把握できる。しかしながら、B院長としては、職員主導でこうした話が上がること自体に違和感があり、対応方法について顧問の社会保険労務士に相談をした。

職員の生活の実情を把握する

 社労士からのアドバイスは、「最低賃金法の最低賃金も今後引き上げられることが確実視されているので、初任給の引き上げは早晩検討が必要である。ただ、全体のコストアップについて、何をどのようにして吸収するか検討しないまま賃上げをすると、経営面に影響が生じる可能性がある」とのことだった。この助言にB院長も納得した。

 また、目の前のC子の不満をどう解消するかについては、経営判断とのことで応じても応じなくてもよいが、応じなければ離職につながる懸念があり、応じれば「今後も生活が厳しいから引き上げてほしい」といった要望が続く可能性もある、との話だった。

 B院長は悩み、C子1人の声だけではなく、他の職員の声も聞くことにした。他の職員からは、PB(プライベートブランド)商品に切り替えたり、電気などは無駄に使用しないようにしているので、特に大きな影響がないという声があった。一方で、子を複数抱えている職員の中には「食費が上がっているので大変」と、話す者もいた。

「米を支給する」方法を採用した理由

 結局、B院長は、給与を引き上げたり手当を支給する方法ではなく、本人を含む家族人数×1人当たり10kgのお米を配る方法を採用し、近所の米穀店に注文と配達先の連絡を伝えることにした。ほどなくして複数の職員から、とても助かったという声が上がった。ここまで喜んでくれたのであれば、第2弾、第3弾を進めようかと、B院長は考えている。
 
 今回の物価高に対し、職員の生活を支援するための手段を講じる場合、(1)1回限りの一時金を支給する、(2)月々の給与に上乗せする形で手当を支払う、(3)米などの生活必需品を支給する──などの対応策が考えられる。このうち、(1)の一時金については、特に残業が多い月の場合、その月の給与総額のうち一時金がどの程度を占めるのかが見えにくく、効果を実感しにくくなることがある。また、(2)の手当については、一度支給すると中止しにくい部分がある。一方で、(3)の食料品などは誰でも必要とするもので、職員の満足感が得られやすく、お米の支給は費用対効果が高い印象がある。実際、それぞれの方法のメリットやデメリットを考えた際に、最終的には(3)のような手段を選択するケースが多いのではないだろうか。

(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。


こちらの連載が気に入ったら、ページ上部の「連載をフォロー」ボタンをクリック!
更新の情報が届くようになります。