イラスト:畠中 美幸

 A耳鼻咽喉科診療所は関西地区にあり、日々多くの患者が訪れている。近くに学校が複数あるため学生の患者も多く、患者は地元の住民が中心だが、少し離れたところから車で来院する患者も少なくないため、比較的広い駐車場を用意している。

 A耳鼻咽喉科診療所で事務職員として働くB子は、数カ月前までまったく異なる業界で長らくアルバイトとして働いていた。だが、日々の立ち仕事で腰を痛め、座って仕事ができる仕事を探していたところ、A耳鼻咽喉科診療所の事務職員募集の求人を目にし、事務職員として転職した。

 B子にとって医療事務業務は初めてで、当然、医療事務に関する知識はない。会計業務も含めた仕事を一から覚えることになるが、頑張ろうとしている姿勢がうかがえた。そのため、C院長は「医療事務を体系的に学ぶために、医療事務に関する資格を取得してはどうか」とB子に提案した。数日後、B子からC院長に「資格の勉強を始めます」という報告があり、C院長はB子の前向きな姿勢に喜んだ。

 しかし、その数日後、B子からC院長に「資格の勉強のためにインターネットで書籍を購入したので、領収書を印刷すれば費用負担をしてもらえるか」とスマートフォンの購入履歴を見せながら相談があった。どうやらB子は母親から「仕事関連の書籍を購入した際は、領収書を職場に出すとその費用を出してくれるのが普通だ」といった助言を受けたようだ。

 C院長としては、単に自己啓発の一環で医療事務関連の資格でも取得してはどうかと伝えただけで、取り組むか否かは本人の自由であり、強制したつもりもなければ具体的な資格を指定したわけでもなかった。そのため、B子が費用負担を申し出たことに驚き、書籍費用を負担するべきか顧問の社会保険労務士に相談をした。

費用負担の必要はないが、ルール整備は不可欠

 顧問の社労士からは「資格取得に関する費用負担のルールがなく、また具体的に強制をしたわけでもないため、そうした費用を負担する必要はない」と回答があった。逆に費用負担を認めてしまうと、何をどこまで認めるのかという話にもなる。書籍一つ取っても問題集はよいが、「マンガで覚える医療事務」といった書籍は認めないなどの線引きも難しい。一方で、費用負担に関するルール整備が不可欠だ、とも指摘された。

 確かに、A耳鼻咽喉科診療所には資格取得費用の負担に関するルールは存在しないので、ルールを策定する必要性は理解できた。一方、B子のように学習に意欲的な者に対して、「費用負担は一切しない」と一蹴すると学習意欲が減退してしまうのではないか、とC院長は悩んだ。そこで、顧問の社労士からは「資格取得のための書籍購入費用は負担しなくてもよい」と言われたものの、ルールが未整備だったことにも問題があったとし、今回は全額負担することを決めた。

 同時に、C院長はルール整備にも着手したが、考えれば考えるほどルール策定の奥が深いことを実感した。ルール整備に際して、まずは対象資格について、事務職員以外の職種の職員が取得しても損はない、と思われるものに定めた。また、書籍については問題集やマンガなど様々な形式があるものの、購入目的は業務効率向上のための学習や資格取得にあるため、どのような形式でも一定金額まで費用負担することにした。一方、資格取得のための受験費用は1回に限り負担し、会場までの交通費は負担しないこととした。

 さらに、費用負担以外にも資格手当の支給も検討した。既に、看護師には資格手当の制度を導入しており、毎月数万円程度の手当を支給しているが、事務職向けの資格では取得に必要な学習時間や取得難易度の違いもある。そのため、数カ月程度の学習で取得が見込める資格については、毎月数千円程度を資格手当として設定した。C院長は、インセンティブの設定によって職員の学習意欲が高まり、実際に学習によって知識が増えれば、本人のみならず組織にもプラスになることは間違いないと考えた。

 ルール整備後、C院長はB子を呼び出した。先日見せてもらった書籍の購入履歴や領収書を印刷またはデータで提供するように求め、今回に限り全額負担し、今後は定めたルールに従って運用する旨を伝えた。翌日の朝礼時に他の職員に対しても、資格取得などに当たってのルールを定めたため、積極的に活用してもらいたい旨を伝えた。

 後日、他の職員からオンラインの講座なども認めてほしいといった要望を受け、C院長は職員の学習意欲の高さに感心し、早速、作成したルールをアップデートして運用することにした。その後、A耳鼻咽喉科診療所では取得した資格を業務に活用する職員も増えており、ルール策定が診療所の運営に良い影響を与えているようだ。

(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。

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