Illustration:ソリマチアキラ 

 「もし、私がここを手放すとしたら、次の人を探してくれる?」──。先日、長作屋薬局が入っているビルの2階にあるクリニックのA院長と食事をした折に、突然、そんなことを言われた。「え?どういうことですか」と聞くと、院長は「実は、もうすぐ古希を迎えるので、そろそろ先のことを考えなくては、と思っているの」と話す。

 ボクは2つの意味で驚いた。1つはA院長が古希ということ。本人は事あるごとに「長作屋さんと同じ年代だから」と言っていた。だからてっきり同い年くらいと思っていたのだが、実は5歳も年上だったのだ。どう見てもボクより若くて、肌もつやつやしている。恐るべし……。

 もう1つは、院長の口から「引退」という言葉が出たことだった。

 ボクと院長の付き合いは40年近くになる。出会いはボクが外資系製薬会社のプロパー(今のMR)として出入りしていた大学病院で、彼女は外科の研修医だった。当時、女性の医師は珍しかったし、ましてや外科にはほとんど女性はいなかった。外科を選んだだけのことはあり、若い頃から豪快でパワフル、バイタリティーあふれていた。

 今では、医師の働き方改革がしきりに言われているが、当時の大学病院の医師たちの長時間勤務っぷりはすごかった。朝8時に出勤し、午前中は外来診療、午後は手術をして夜は当直、朝8時に当直終了した後に通常勤務、つまり午前中は外来診療、午後は手術をこなし、なんだかんだで20時ごろまで勤務し続けるというハードさだ。

 しかし、すごいのはここからだ。疲れ果てて自宅でゆっくりするのかと思いきや、同僚と車を飛ばして夏はマリンスポーツ、冬はスキーに。車の中で仮眠して1日遊び、帰った翌日はまた仕事、という生活を当たり前のように送っていた。たまに運転係として付き合ったが、車中はずっと担当患者のことや、今日の手術がどうだったなどと仕事の話で盛り上がっている。

 あちこちの学会にも一緒に行ったが、夜は必ず日付が変わるまで飲んでいる。夜中に医局でお弁当を食べながら、サマリーを書きながら寝ている姿を何度も見かけた。いろいろあって開業したが、そのまま大学に残っていたら、さぞかし出世しただろうと思うような人だ。

 20年ほど前に開業したクリニックは今も患者であふれ、忙しい日々を送っている。つい先日も2泊3日で香港に買い物に行ったり、昨年はヨーロッパの学会に1泊3日で参加してきたと話していた。そんな先生が引退だなんて……。

 何だか寂しくなって、「本気で思ったら言ってください。本気で探しますから」と冗談っぽく言うと、院長は「その時はお願いします」といつものちゃめっけたっぷりの顔で頭を下げた。その瞬間、ボクは胸をなでおろした。よかった!まだ本気じゃないんだ!長作屋薬局のためにも、もう少し頑張ってほしい。

 いや、そういうことじゃない。ボクはいつまでもパワフルなA院長であってほしいのだ。そんなボクの複雑な思いをよそに、A院長は「〇〇教授は90近いが□□先生のクリニックで外来をやっている」とか、「△△先生の息子は××大学の准教授になった」だのと話し続けている。揚げ句の果てに「来年の南米での学会に皆で行かない?」などとむちゃなことを言う。やっぱりA院長に引退なんて似合わない。(長作屋)