イラスト:畠中 美幸

 東海地方にあるA整形外科診療所は、公共交通機関や自家用車で通院可能な利便性のよい場所に立地している。先日、事務職員B子は駐車場で高価そうなボールペンを発見した。どうやらブランド物のようだ。重さも書き味も通常使用しているボールペンとはまるで違う。B子は、当日中か後日にでも落とし主がボールペンを紛失したことを申し出るだろうと思い、落とし物と分かるように受付のカウンター裏付近に、そのボールペンを無造作に置いた。

 数日後、B子は落とし物のボールペンがなくなっていることに気付き、そのことを職員間で共有した。「落とし主が現れたのではないか」という意見もあったが、誰もその事実は確認できなかった。普段使用するボールペンよりも高価そうで使い心地も良く、オークションサイトなどでも転売できそうな代物だったため、いつの間にか「誰かが盗んだのではないか?」と職員らは疑心暗鬼になっていた。そうした状況を耳にしたC院長は、落とし物とはいえ職場で物がなくなることに憤慨した。

 後日、「リハビリスタッフのD男が落とし物のボールペンを持っているようだ」という話が噂話として、C院長の耳に入った。C院長は、D男の所持品検査をして本当に落とし物のボールペンか確認したい、と考えた。しかし、そうした確認が問題になる可能性もあると考え、顧問の社会保険労務士に職員への所持品検査の実施について相談した。

職員の所持品検査実施には4つのポイント

 顧問の社労士からは、「現時点で職員の所持品検査を行うべきではない。仮に実施してトラブルになれば、診療所側が悪く扱われトラブルも大きくなりやすい」と指摘を受けた。C院長は「疑わしいのだから、カバンの中身ぐらい確認させてもらってもよいだろう」と考えているが、顧問の社労士から「従業員の所持品検査を巡っては、労働裁判例で争われた事案や最高裁まで争われた事案もある」と教えられた。

 最高裁まで争われた裁判例(西日本鉄道事件、昭和43年8月2日最高裁判決)によると、従業員の所持品検査実施に当たって、(1)所持品検査実施において、合理的な理由があること、(2)一般的に妥当な方法や程度に基づいて行われること、(3)職員に対して画一的に実施されること、(4)就業規則などの規定などにおいて、具体的な実施根拠が定められていること──の4点を満たす必要があるという。

 今回は、落とし物として院内に保管していた高価そうなボールペンが紛失し、誰かが持ち出した懸念があることから、(1)の所持品検査実施における合理的な理由に当たる、と考えられる。また、所持品検査の実施における、(2)一般的に妥当な方法や程度とは、検査を行う者が「カバンの中に手を入れて探す」「ポケットに手を突っ込んで確認する」といった検査を受ける職員に侮辱感を与える方法であってはならない。「自らカバンを開けさせる」といった方法を取る必要があるという。

 しかし、D男にだけ所持品検査を実施することは、(3)職員に対して画一的に実施する、とは言えず、人権上の侵害行為と捉えられるリスクが当然発生する。ここで言う画一的とは、「スーパーマーケットで働いている従業員全員に対して、店舗退出時にカバンの中身をチェックする」などを指している。D男としても全く身に覚えのない疑惑をかけられ、自身にのみ所持品検査が行われたと知れば、C院長とD男との信頼関係は完全に崩れ、離職を余儀なくされる可能性もある。最悪の場合、損害賠償の請求を受ける可能性もある。

 そして、一番の問題は、(4)所持品検査の実施が就業規則などに定められていることだ。多くの医療機関の就業規則には、所持品検査を行うことがあるという記載はあまり見られない。就業規則などに根拠条文がなければ、所持品検査を実施する根拠がなく、強制的に実施をすれば人権侵害行為と扱われやすい。裁判などに発展すると、診療所側が不利な立場になることは間違いないという。

 C院長は社労士の説明にもどかしさを感じたが、今後の対策として、まずは就業規則に所持品検査を行うことがある旨を追記した。さらに、落とし物は持ち出せないよう、鍵のかかる透明な箱に入れ、物理的な紛失防止策を講じた。

 数週間後、院内の勉強の際、D男が高価そうなボールペンでメモを書いていた。しかし、よく見ると落とし物のボールペンに似ていたものの、異なるメーカーのものだった。C院長は「勇み足でD男に所持品検査を行わなくてよかった」と胸をなで下ろした。また、後日、事務のカウンター裏に落ちている紛失したボールペンを発見した。職員らは、丁寧な探索を怠り、他の職員を疑ったことを猛省した。

(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。

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