
イラスト:畠中 美幸
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行時は、多くの人が衛生に注意していた。一方、COVID-19が5類感染症に移行してからは人々の警戒も薄れ、感染対策も弱くなってきている。今冬はインフルエンザなどの感染症が再び拡大した。関東地方にあるA内科診療所でも感染症に関連して、B院長を悩ませる出来事が起きた。
最近入職した事務職員のC子はシングルマザーとして子育てをしながら、毎日熱心に働いている。仕事の覚えも早いので、B院長は大変良い人材を採用できたと喜んでいた。ある日、C子の目がうつろな感じがしたため、注意深く観察していると、C子は隠すように咳をしていた。さらに、C子の顔が火照っていたように見えたため、声を掛けて体温計を渡したところ、高熱があることが分かった。
念のため、インフルエンザと新型コロナウイルスの簡易検査を実施したところ、幸いにも共に陰性だった。B院長がC子を問い詰めると「子供がかぜを引いており、どうやらそれが感染したようだ」とC子は言った。B院長は、かぜを引いている家族がいたことを認識していたというC子の発言や、そのような状況でC子が出勤してきたことに強い怒りを感じた。B院長は、何とかC子を罰することができないかと思い、顧問の社会保険労務士に相談をした。
罰則の検討は状況次第も、内容は始末書程度
顧問の社労士からの回答は「病気を押して出勤した職員に対する処罰の可能性は、その状況にもよる」といったもので、何とも解釈に困る返答だった。というのも、「熱が出て感染をしたことが分かったのが出勤前かその後か」「その際の症状はどうだったのか」などによって判断が分かれるからだ。
例えば、1時間前まで特に体調は悪くなかったものの、体調が直近の1時間程度で一気に悪化したのであれば、それを理由に処罰を検討することは難しいという。感染症に罹患した可能性が高いと分かっていながら出勤をしたのであれば、処罰の検討に値するとのことだが、C子は「朝は何となく調子が悪いような気もするが、気のせいのような気もする」という状態だったようで、悪質ではないように思えた。
しかし、B院長は「医療人としての倫理観はいかがなものか」という思いを抱き、怒りは増すばかりだった。だが、「仮に処罰を与えたところで、せいぜい始末書の提出といった程度で、事案の相当性を考えると懲戒解雇などの厳罰な処罰は難しい。それならば、同様のことが今後発生しないために対策を検討すべきではないか」と社労士から諭された。社労士のアドバイスはもっともであり、B院長は対策を検討することにした。
今回のケースを踏まえた社労士のアドバイスは?
そもそも、今回、なぜC子は体調不良に気づいていながら出勤したのかを考えると、入職したばかりで年次有給休暇の取得条件である入職6カ月を満たしておらず、欠勤分の給与が控除されないように出勤したのではないかと思えた。労働基準法第39条において、「入職から6カ月経過後、10労働日の年次有給休暇が付与される」という定めがあり、多くの医療機関では年次有給休暇の付与日は入職から6カ月後となっている。A内科診療所でもそのルールで運用していた。
大企業のように、入職後すぐに年次有給休暇を付与する制度も検討したことはあるが、悪意のある人が入職後すぐに年次有給休暇を取得して退職してしまうことも想定され、積極的には検討せず現在に至っている。しかし、今回のケースが発生した以上、再考せざるを得ないのではないかと思っていた。
入職後すぐの年次有給休暇の付与について、B院長が導入を検討していたところ、顧問の社労士から「現行の入職後6カ月で年次有給休暇が付与される制度は変更しない一方、入職6カ月未満の職員は病気療養に限って、最大3日間程度の特別有給休暇の付与を制度として検討してはどうか」と提案された。さらに社労士は、薬の購入や医療機関の受診時の領収書を証拠書類として提出すれば、制度の悪用も防げる点を指摘した。B院長は社労士の提案を受け入れ、制度化を検討することにした。
C子は発熱した勤務日は早退し、翌日は欠勤した。ようやく体調が戻った3日目から出勤したため、B院長は再びC子と面談した。やはり、C子は「入職後間もない状況で欠勤として扱われることを避けたかった」「仕事を覚えたての状態で休んでしまうと、周りに責任感がない人だと思われるのではないか」といった気持ちから、出勤してしまったとのことであった。
B院長は顧問の社労士と相談して、「今回の早退や欠勤は特別有給として扱うこと」「今後入職してきた職員にも同制度を適用すること」を伝えたところ、C子は大粒の涙を流しながら謝罪と感謝を口にし、B院長に大きく頭を下げた。その後、B院長とC子のコミュニケーションは前にも増して密になった。C子の仕事の頑張りには周りが感心するほどで、改めて良い人材を採用できたとB院長はうれしく感じている。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。
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