トラブルの経緯

(イラスト:畠中美幸)

 北関東のX整形外科は、職員数5人のクリニックである。最近、先代の院長が病気のため引退し、40歳代の息子夫婦に経営がバトンタッチされた。職員は、先代のときから勤務している人たちをそのまま受け継いだ。新院長がまず始めに手をつけたのが、職員面談を行い、コミュニケーションを取ることだった。

 全職員の前で今後の方針やルールを明確にし、その後一人ひとりを院長室に呼び、常日ごろ、改善したいと思っていることなどをヒアリングした。「看護師を増やしてほしい」とか「退職金の計算方法を明確にしてほしい」など、職員たちも新院長の覚悟を受け入れ、本音の話し合いができたようで、新体制は順風満帆に運ぶかに思えた。

あいさつがなくなり不穏な空気に
 ある日、看護師Aと事務職員Bが、これみよがしに就業規則を開いて見入っていた。院長はさして気に留めることもなかったが、その後、診療の方針に意見をしたり、「やり方が統一されていない」などときつい口調で言ってくるようになった。

 院長は、古参の看護師に遠慮して、自分のやり方を改善するようにした。しばらくすると、看護師Aは院長に対してあいさつをしなくなった。患者に対しては、いつもと変わらずにこやかに対応しているが、院長にだけは朝と退出時のあいさつをせず、仕事上の必要最低限のことしか話さなくなっていた。

 医療事務との連携や院内の雰囲気も張り詰めたものとなり、院長は、看護師Aを呼んで個別に話をする場を持った。Aは、「院長は人の意見を聞くようで実は聞いていない」「賞与の査定が今までと異なる」「言ってもムダだから話をしたくない」などとまくしたて、感情が高ぶったのか「近いうちに辞めさせてもらう」と言ったきり出て行ってしまった。

「私がいないと困るでしょう?」
 看護師Aはスタッフとしては最も勤続年数が長く、患者の受けも良い。何といっても、院長がクリニックを受け継いで日も浅いから、何がどこにあるのかといった部分も含め、教えてもらわなければいけないことがまだたくさんある。思いとどまってくれるようにと、院長はAに気を遣い、へりくだるような態度を取っていた。

 ある日、看護師Aから退職の意思表示は撤回したいとの申し出があった。院長は内心ホッとしたが、なぜ急に翻意したのかを確認したいと思い、尋ねてみた。すると、「ここのクリニックは、私がいないと困るでしょう? 仕事も回らないし、第一、患者さんに迷惑がかかる」と言って微笑んだ。院長は、釈然としない気持ちだったが、ともかく日々の業務が回ることを優先し、あいさつをきちんと行うよう指示した上で退職の撤回を受け入れた。