具体的に目に見える形でのトラブルが生じているわけではないため、特定の課題解消を目的とした指導や研修ではなく、院内全体でモチベーションアップを図る取り組みをしたいと考えた院長は、定例の全体ミーティングで「これまで患者さんに喜んでもらったこと」を発表してもらい、全員で共有することを提案した。バラバラになりかけている価値観のベクトルを再度統一するための一手である。

 さらに、患者アンケートを実施することとし、できるだけ回答者に負担の少ない形になるようにと、受付時に用紙を手渡して会計時に回収箱に投函してもらう方法を採用したほか、回答票も設問数を絞った(7問)ものとした。

アンケートの結果に職員安堵
 これらの取り組みは、それまで実践してきた患者対応の方針が、院長の診療理念に沿ったものだということを改めて理解してもらうとともに、患者が職員の言動をどのように感じているかを知ることで、不安感を払しょくし自信を取り戻してもらうことを目的としたものである。

イラスト:畠中美幸

 アンケート結果は思いのほか評価が高く、5段階評価で平均4.1となったほか、コメント欄に「いつもありがとうございます」などの言葉が書かれたものもあった。結果を聞いた職員は一同ほっとした表情を見せ、「うちのクリニックは評判が悪いと思っていたので、安心した。これでまた頑張れる」という言葉も聞かれた。

 また、全体ミーティングでそれぞれ発表してもらった「これまで喜んでもらえたケース」については、事例集としてまとめ、基本的な対応ルールを整理した「患者対応マナーマニュアル」として再構成した。その中には、「敬意を持って接する」という文言が新たに加えられている。

 しばらくすると職員の表情にも柔らかさが戻り、院長は、以前の雰囲気に近付いているように感じている。

今回の教訓

 今回のトラブルは、1つのクレームをきっかけとして、職員の間に価値観の揺らぎが生じてしまったことが原因となった。院長としては、自身の診療理念を言葉で伝えていく意識が不足していたとも考えられる。また、言葉だけではなく、マニュアルなどによって自身の考え方や方針に則った患者対応の基準を示しておくことも必要だったといえるだろう。

 在職年数や雇用形態にかかわらず、職員全員が同じクリニックに在籍する「仲間」として診療理念を実現するための「価値観」の共有は、苦情・クレーム対応だけでなく、クリニックが非常事態に直面した際にも大きな力を発揮することになる。

 今回院長が試みた全体ミーティングのテーマ提示や、患者アンケートの実施は、すぐに改善の効果が表れる性質のものではなく、ある程度の時間をかけて再度価値観の構築を図ろうとするものだった。しかし結果として、比較的短期間のうちに職員の意識が統一され、日々の業務に対するモチベーションが向上するとともに、組織風土の形成に大きな役割を果たすものとなった。

 開業から年数が経過すると、ある程度経営も安定し、院長も当初は気を張っていたはずであるのに、日常業務が円滑に進んでいることで院内の雰囲気や職員間のコミュニケーションの問題に鈍感になる傾向がある。院長が、同じ価値観を共有する組織のトップであるという自覚を持ち、職員が迷ったり不安を抱いたりしないよう、自身の診療理念を継続して伝えるべく働き掛けることが、経営の安定に重要な要素であることを意識していただければと思う。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
齊藤規子(株式会社吉岡経営センター)●さいとう のりこ氏。北海道大学大学院法学研究科修士課程修了後、法律事務所勤務を経て(株)吉岡経営センター(札幌市中央区)入社。人事労務、組織管理、経営改善など医療機関を中心に経営コンサルティングを手掛けている。認定登録医業経営コンサルタント。