A内科クリニックは都内西部にあるクリニックで、職員は看護師1人、医療事務2人の計3人。院長は還暦を過ぎ、体力も落ちてきて、昔のようにたくさんの患者さんの診察はできないため、受付時間を短くして診療していた。職員には残業がほとんどなく、働きやすい職場だと思われているようで、人間関係も良く、トラブルとは無縁だった。
しかし、ある日の出来事からそれが急転した。医療事務のB子は勤続3年で、1年前に結婚していた。近ごろ、顔色が悪いことが増え、遅刻や当日欠勤の連絡をすることが多くなっていた。院長は、今までのB子の働きぶりと患者への対応を評価していたので、おかしいとは思いつつ、数週間様子を見ていた。
さらに数日経過したある日、B子から「妊娠しました。体調がすぐれないことが多く、ご迷惑をおかけしています」と告げられた。院長は「おめでとう。何をおいても元気な赤ちゃんを産むことが大事だから、無理をしないように」とお祝いの言葉を返した。
「金銭解決を望むならそうしてもよい」
その後も、B子はつわりがひどいのか顔色が悪く、たびたび仕事ができなくなって、控室にこもることが多くなった。院長はB子を気遣い、「体調が悪いのなら、無理をせず休みなさい」と告げ、B子は「そうさせていただきます」と言い、その日は早退していった。
それからB子は、週に1日は休みを取るようになり、出勤してきても、体調の悪い様子がはっきりと見て取れた。院長は、どうしたものかと思案したが、もう1人の事務職員への負担が大きくなっていることや、今後のことを考えると、B子には辞めてもらって、新しい職員を雇った方がよいと考えるようになった。
そこで、診療終了後にB子を呼び出し、「今は子どものことを第一に考えて、仕事は一度リセットしたらどうか」と告げた。B子は「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。夫と相談してお返事します」と答え、その日は帰って行った。
それから数日が経過し、診察終了後にB子の兄だと名乗る男性から院長あてに電話がかかってきた。いわく、「自分は弁護士事務所に勤めている。妊娠した女性職員に退職勧奨をするのは、法違反である。出るところに出たら、はっきりするだろうが、金銭解決を望むならそうしてもよい。今から話をつけにクリニックに行く」と脅迫まがいのことを言ってきた。
院長は、「B子の体調を考えて提案したことだ。とにかく、B子の意思を確認していないので、今は何も言えない。来られても話はできない」と伝え、その日は電話を切った。さらに翌日もその人物から電話がかかってきたが、院長は居留守を使い、電話には出なかった。