1カ月後、しばらくぶりに出勤したT子は、精神科での治療が奏功して眠れるようになったとのことで、顔に精気が戻っていた。仕事のミスも、休む前と比べると大きく減っている。しかし、別の問題が起こっていた。T子の住所地の自治体から院長宛てに「債権差押通知書」が届いたのだ。T子の給与から本人が滞納している住民税を控除して、当の自治体に振り込むようにとの説明が書いてある。

 院長は、このような文書を見たことがなく、重大なことが起こってしまったと、すぐに顧問の社会保険労務士に問い合わせた。顧問社労士が言うには、「本来、住民税は給与支払者が毎月の給与から控除して、従業員の住所地の市区町村に支払うのが原則だが、T子はパートだから、税理士さんがそれをしていなかったのだろう。指示通り、T子の給与から、滞納額を返済するまで毎月控除して振り込んでほしい」とのことだった。

生活資金に余裕がなく納税を後回しに
 診療終了後、T子にこの件を伝えると、同棲相手だった男性は定職に就いておらずT子が半ば養っているような状態であり、生活資金に余裕がなく、ついつい納税を後回しにしてしまったとのことだった。院長はこの先、6カ月にわたって、分割して滞納額を給与から控除し、納付することを伝えた。

 税金の滞納が発覚した後、T子は体調の変動がありながらも6カ月勤め、住民税を完済した後に退職していった。出身地の九州に帰るとのことだった。

 長い期間、経営をしていると、いろいろな職員と巡り合う。今回のようなトラブルはN院長にとって初めての経験だったが、これまで様々な職員の問題に対処してきた経験が生きたのか、さらに大きなトラブルに発展させずに済むことができた。

 こうした事態に直面したとき、診療所の院長の中には、感情的な叱責をしたり不用意な退職勧奨をして職員との関係をこじらせるケースもある。もちろん、トラブルの内容によっては厳しい姿勢で当たる必要もあるが、思わぬ事態が発生した場合であっても過度に反応せず、周囲のブレーンなどの意見も聞きながら泰然とした姿勢で臨むことで道が開けてくることもある。

 昨今の社会情勢を反映したようなトラブルに見舞われたN院長だったが、T子は故郷で元気にしているだろうかと、今も気にかけている。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
加藤深雪(特定社会保険労務士、株式会社第一経理)●かとう みゆき氏。日本女子大人間社会学部卒業後、2003年第一経理入社。企業や医療機関の人事労務コンサルティングを手掛け、中小企業大学校講師や保険医団体の顧問社会保険労務士も務める。