あくる日の昼休みにA子を呼び出した院長は、次のように伝えた。「患者さんと笑顔で会話をするのはよいが、他の患者さんの目もあるので、医院内で話をする際は誤解を招くような行動を慎むように」。

 すると、A子は目に涙をためながら、「医院のため、院長のために、患者さんへの接遇だと思ってやっているんです。それなのに、逆に注意をされるなんて、とても悲しいです」と言い、泣き顔を院長の胸に押し付けてきた。院長はあまりの事態に面食らい、言葉が出なくなってしまった。

 続けざまにA子は、「院長は、私のことが嫌いなんですか? 可愛くないんですか?」と言ってきた。院長は気が動転し、「A子は可愛いし、好きだと思っている」と言ってしまった。内心何を言っているのだろうと思ったが、その場を収めるためだと自分に言い聞かせた。A子は落ち着きを取り戻し、その日を何とかやり過ごした。

「セクハラされた」と労働局に駆け込む
 次の日、A子から「おはようございます。昨日の院長の告白、とても嬉しかった、もう一度聞きたいです」という内容のLINEが入っていた。院長は、それでモチベーションが高まるのなら…と考え、「A子のこと大好きです。今日も仕事頑張ろう」と返信した。

 数週間が経ち、先輩のB子がついに、「A子の自己中心的な振る舞いに耐えられない」と辞意を伝えてきた。B子に去られては困る。辞めてもらうならA子の方だ——。そう考えた院長は意を決した。A子に対し、それまでの自己中心的な言動を挙げ、これ以上雇用し続けることは難しいと伝えた。するとA子は、「辞めるのは結構ですけど、逆に院長をセクハラで訴えます。証拠もあるから、院長は私に慰謝料を払うことになりますよ」と言った。院長は、LINEのことかと自らの軽はずみな言動を後悔したが、後の祭りだった。

 結局A子は、退職勧奨に従う形で辞めていった。B子ら先輩たちとの関係を煩わしく思っていたようで、クリニックで働き続けることに、それほど執着していないように見えた。

 ところが、A子はその後、労働局による「あっせん」手続きを申請した。あっせんとは、個々の労働者と事業主との間の紛争の防止と迅速・円満な解決を図ることを目的とした「個別労働紛争解決制度」による手続きのこと。労働局が設置した紛争調整委員会のあっせん委員が、当事者の間に入って調整を行う。裁判のように勝ち負けを決めるのではなく、互いの主張を聞いた上で着地点を探り、円満な解決を目指す。あっせんで双方の合意が見られなければ、手続きは打ち切られる。

 A子はあっせんにおいて、院長からセクハラを受け、不当に退職させられたと主張した。院長はこれを否定したが、LINEに残したメッセージが誤解を招く内容であった上、トラブルを長引かせたくないという思いもあり、解決金として数十万円を支払うことで合意した。高い“授業料”を支払う羽目になったが、現在は、元からのスタッフたちと大過なく医院を運営している。