また、こうした貸し借りのトラブルが発生した場合、被害者が職場内に複数名存在することが多く、言い返せない人ほど被害額が大きくなる傾向がある。また、同じ被害を受けたスタッフたちの結束力が強まり、経営者に対し集団で「○○さんに辞めてもらいたい」と言ってくることもある。もちろん、気持ちは汲んであげたいところだが、職員に辞めてもらうかどうかは同僚が決める問題ではなく、退職を求める声になびかないように注意しなければならない。

 ところで、今回のような個人間の貸し借りを巡るトラブルで、返済しないスタッフに対して懲戒処分を科すことは可能だろうか。裁判例をひも解くと、本来は職員の私生活上の行動は規制できないとしつつも、事業の円滑な運営に支障を来す恐れがあるなど、秩序に影響が生じると判断される場合は懲戒処分は有効とした最高裁判例がある(関西電力事件、1983年9月8日判決)。

 従って、程度にもよるが懲戒処分の検討は視野に入れてもよいであろう。もちろん、例えば職員同士で食事に出掛け、たまたま財布の中に持ち合わせがなく、他の職員に立て替えてもらったものの翌日に全額返すといったようなことまで懲戒処分とするのは、このルールの趣旨とかけ離れている。いかなる場合も一律に適用するのではなく、状況に応じて判断をしていくべきであろう。

 判断のポイントは、その行為によって職場環境が悪化したり、業務の円滑な運営が妨げられるかどうかで、そうした状況であれば、万一裁判になっても懲戒処分は有効と認められやすい。

借金の要求を断る口実を作る

 今回のような事態を招かないようにするためにも、就業規則の服務規律において「他の職員や患者、取引業者などと金銭や物品の貸し借りはしないこと」といったような規定を追記しておきたいところだ。このような記載があれば、対象者に注意をしやすい上、スタッフが先輩や上司から金品を貸すよう求められても「就業規則に禁止事項として定めてあるので」と断る口実になる。

 今回のA診療所のケースで院長は、C子から「B子さんには直接言えない」と言われたこと、職場の雰囲気が悪いと報告を受けたこと、周りの職員からB子に辞めてほしいという声が上がっていることから、院長が介入しないと事態が打開しないと考え、B子とC子を別個に呼び出した。そして、C子が困っている旨をB子に伝え、期日を明確に決めて返済することを約束してもらった。同時に、他の職員に対しても、C子と同じ期日までに返済することを誓ってもらった。

 就業規則に「金銭や物品の貸し借りをしないこと」と明記していなかったことから、B子に懲戒処分を科すことはせず、厳重注意するにとどめた。また、就業規則に追記をして、今後は懲戒処分の対象とする旨を全職員に伝えた。今回の問題を院長に打ち明けたC子がB子から嫌がらせを受けるようなこともなく、今では職場内の雰囲気は以前のように良好なものとなっているようだ。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。