その後、G院長は閉院を決断。意を決して妻にこう伝えた。「長年、地域医療を支える診療所を自負して頑張ってきたが、そろそろ看板を下ろそうと思う。今までありがとう」。

スタッフは事情を受け止め納得

 次の日の診察終了後、職員を集めたG院長は、緊張した面持ちでこう告げた。「誠に残念なことだが、クリニックを閉院することにしました。緊急事態後の患者減は職員のみんなも目の当たりにしているから、言うまでもないことだが、収入の落ち込みが激しい。今の状況が、どこまで続くか見当がつかない。また、このクリニックは、私をはじめとして、年配のスタッフが多い。いくら予防に努めても、感染が起こってしまえば、重い症状になる可能性がある。長年勤めてくれた皆さんに、退職金を十分支払えるうちに閉めようと決断しました。閉院の時期については、これから2~3月以内を想定していて、税理士と話をし、決まり次第、追って報告します」。

 スタッフ3人は目に涙を浮かべながら、口々に「ありがとうございます。分かりました。仕方ありませんね」「もし再開することがあれば、声を掛けてください」などと納得した面持ちで答えた。職員としても、自身、さらには同居する家族への感染を懸念しており、また、院長の年齢や運営状況を考えると、今後患者数が回復するとは思えず、致し方ないことと受け止めたようだった。院長は、スタッフ全員が立ち去ったのを見届けた後、待合室のソファに深く腰を下ろして、ため息をついた。

 その後、院長は閉院に向けた準備に着手。定期通院していた患者は、順次、近隣医療機関に紹介した。スタッフについては、新型コロナの流行下で、本人たちが直ちに再就職することを望んでいなかったため、再就職のあっせんまではしなかった。閉院に向けた様々な手続きに時間がかかり、現時点ではまだ廃止に至っていないが、診療はほぼ停止した状態となっている。

職員の処遇には細心の注意を

 新型コロナの流行で事業活動の縮小を余儀なくされた場合に、従業員の雇用維持を図るために「雇用調整」(休業)を実施する事業主に対して、休業手当などの一部を助成する「雇用調整助成金」制度が設けられた。診療所などの中小事業所で、解雇などをせずに雇用を維持した場合、休業手当などの10分の10(1日1万5000円以内)が助成される。Fクリニックでも、この制度を利用する手もあったが、院長が高齢で、もともと診療時間も患者数も少なかったため、今後患者数が回復する見通しが立たないということで閉院を決めるに至った。

 医療機関では、新型コロナの影響で事業の廃止にまで至ったケースは表にはほとんど出てきていないが、特にFクリニックのように高齢の院長が細々と続けてきたような診療所が、閉院に踏み切る事例が出てくることは十分考えられる。

 また、廃止には至らなくとも、事業活動の縮小により職員に辞めてもらう選択をする例は出てきている。そうした際、雇用者側としては、不当解雇にならないよう細心の注意を払うことが求められる。事業活動の縮小に伴う職員の解雇は「整理解雇」と言われる。整理解雇に関しては、次の4つの要件(要素)を満たす必要があるとして、実際の裁判例を通じて判例法理が形成されてきた。
(1)人員削減の必要性
(2)解雇回避努力義務
(3)人選の合理性
(4)手続きの妥当性

 (1)については、経営上の十分な必要性に基づいていることが必要だ。(2)については、解雇の前に不要資産の処分や経費削減などを行っていることが求められる。(4)の手続きに関しては、労働者や労働組合と十分に協議し、納得を得る努力をしなければならない。

 近年では、国際的な競争激化など事業者を取り巻く環境が変化してきたことを受け、(1)~(4)は要件としてではなく、判断基準の要素として捉えられるようになっている。ただし、紛争になった場合の基本的な判断は、この4点が総合的に考慮されるので注意が必要だ。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
加藤深雪(特定社会保険労務士、社会保険労務士法人第一コンサルティング 法人代表)●かとう みゆき氏。日本女子大人間社会学部卒業後、2003年第一経理入社。2018年10月より現職。企業や医療機関の人事労務コンサルティングを手掛け、中小企業大学校講師や保険医団体の顧問社会保険労務士も務める。