イラスト:畠中 美幸

 今回は、「職員トラブル」という連載のテーマから外れるが、新型コロナウイルス感染症COVID-19)が流行する中、閉院を決断した診療所の高齢院長のケースを紹介したい。

 西日本の都市部に立地するFクリニックは、地元で約40年内科診療所を営んできた。G院長は既に80歳を超え、3人のスタッフもベテランぞろい。勤続年数が最も長いスタッフは、20年以上、Fクリニックで働いてきた。

 院長は視力や体力の衰えを日々痛感しているが、かかりつけで受診してくれている患者や、長く勤めてくれている職員たちのことを考えると辞めるに辞められず、診療時間を短くするなどして運営を続けていた。親族に後継者はおらず、自分が引退したら診療所を廃止すると決めていた。

 「体力の続く限り、運営を続けたい」。G院長はそう考えていたが、新型コロナウイルス感染症の流行で状況は急変した。今年3月の時点では、患者数などに大きな変化は見られなかったが、4月に緊急事態宣言が出されて以降は、みるみる患者数が減っていき、約半分となった。Fクリニックの患者層は、高齢世代が多くを占めており、コロナ感染のリスクを考慮しての受診控えによるものと思われた。

職員たちが感染対策の強化を求める

 そんな中、ゴールデンウイーク前のある日の診療終了後、院長は職員2人から呼び止められ、こう告げられた。「先生、私たちももう若くないので、新型コロナウイルスに感染したら重症化することが心配です。家族にもうつしてしまうんじゃないかと、気が気ではありません。できる限りの感染防止対策を講じてほしいです」。その2人は60歳代で、うち1人は子どもや幼い孫と同居している。G院長は、「何とか考えてみる」と、とりあえずその場を収めた。

 その晩、G院長は開業医の友人たちにメールを送り、患者数の動向や院内の感染防止策について尋ねてみたところ、何人かから返事が来た。それで分かったのは、どこもそろって患者数が大きく減っており、マスクや消毒液、ビニール手袋などの消耗品が入手しづらくなっていることだった。人件費の負担が重くなってきて、パート職員に辞めてもらうことを検討しているという内容もあった。ある診療所では、感染対策を徹底しているが、患者を感染源扱いしていると捉えられかねないので、感染対策の趣旨を明示した院内掲示を出したという。どこも同じように手探りで乗り越えようとしているのだなと、G院長は励みに感じた。

 さらに数日後、小児科を営んでいる旧知の院長から返事が届いた。患者数の落ち込みが大きく、開店休業状態になったことから、12人のスタッフのうち1日に4人だけ出勤してもらい、他の8人は交代で休ませているという。また、近隣の整形外科診療所では、4月に育児休暇から復帰予定の看護師がいたが、「保育所の預かりが保留になっているし、私自身も子どもを保育所に預けるのは怖いから、新型コロナが落ち着くまで、しばらく育児休業を延期してほしい」との要望があったと聞いた。これを受け入れたところ、本人の仕事をカバーして忙しくなった他の看護師から不満が出ているとのことだった。

全員が年配であることを考えると…

 G院長は長年、診療所の経営をしてきて、このような先の見えない危機を経験するのは初めてだった。自分もいつ感染するか分からず、80歳代の自分が感染したら、重篤化することが考えられる。持病のある妻にうつしてしまうリスクもある。職員も皆、年配なので、院内感染させてしまうことは避けたい──。同業者からのメールを読んで、院長は考え込んでしまった。

 連休明けのある日の診察終了後、以前に院内感染対策の強化を要望してきた職員2人がG院長を呼び止めた。2人とも険しい顔つきをしてこう言った。「その後、院内感染対策をある程度講じていただきましたが、まだ足りないと思います。近所のスーパーのレジでも店員さんがフェースシールドをしているし、スタッフがゴーグルなどで防御しているクリニックもあるようです。ただでさえ、感染リスクが高いのに、このままでは、安心して働けません」。

 外出自粛や感染のリスクで、職員たちにも相当ストレスがたまっているのだろう。今回のように不満を訴えてくることは初めてだった。G院長は、院内感染対策を強化しなければならないと思う一方で、たとえ対策を講じたとしても、果たして高齢の自分やスタッフたちが新型コロナの第2波、第3波を乗り切れるのかどうか、大きな不安を感じた。「そろそろ、診療所を閉じる潮時なのかもしれない」。G院長はそう思った。