Illustration:ソリマチアキラ

 親しくお付き合いしている医薬品卸の支店長のAさんが、本社に異動となった。今日の昼すぎに、ボクの会社に挨拶に来るという。

 ボクは随分前、彼に説教したことがあった。ある夏のお中元時期、ボクの自宅にメロンを送ってくれたときのことだ。「メロン」と書かれてあるものの、ヨレヨレの角が潰れた段ボール箱で送られてきた。どこのメロンかも分からず、送り状の差出人の欄には、殴り書きで社名と支店名があるだけで名前がない。メッセージもない状態だった。

 立派な化粧箱に入った静岡県産のクラウンメロンを贈るべきと言っているのではない。モノを贈ることは気持ちを伝えるということだ。気持ちを込めて丁寧に贈るべきだ(特にメロンは)。そうすれば贈られた方は、メロンを値踏み(!)しながらも、メロンの価値以上のうれしさを感じるものだ。気持ちを込めて、何を贈るかを吟味し、どういう状態で、いつ届くかなどを確認し、手紙を書いて……。そうした一連の気遣いをしないのであればモノを贈る必要なんてない。ボクはモノで満たされたいわけではない。気持ちが欲しい。そんなココロを分かってもらいたくて、申し訳ないと思いつつも、「メロン、ありがとうございました。おいしくいただきました。でもな、あの送り方はないよ」と、ついつい説教をしてしまったのだ。

 その彼が栄転するという。これまで随分お世話になったし、一緒に苦労もした。感謝の思いを伝えるために、社長らしいカッコいいプレゼントを用意しなくちゃと、一人盛り上がった。色々と調査し、単身赴任が長い彼は毎朝、食パンを片手に車を運転して出勤しているという情報を入手した。そしてドガーンとひらめいた!はやりの高級トースターしかない!!「スチームテクノロジーと温度制御により、窯から出したばかりの焼きたての味を再現する」という代物だ。ボクの家にもあるが、どんなパンでも最高においしく焼き上がるらしい(僕は米派だ)。彼の家にこのトースターがないことも当然調査済みだ。

 ただ、このトースター、少し値が張る。ボクが、いつも取引先の社員が転勤する際に使う贈り物の金額をはるかに超えている。でもこのトースターをどうしても彼に贈りたかった。ボクはその日から毎日ネットオークションをのぞき、やっとの思いで予算内で新品を落札。商品は「最短で翌日配送可能」となっており、その後届いたメールには「〇日(今日)、宅配会社の配送所に午前着、その後配送」と書かれていた。

 そして今日。荷物は昼になっても届かない。ウェブサイトで荷物を追跡し、宅配会社の集配所に毅然として電話をしたところ、「午前着の指定となっていましたので、明日の午前にお届けを予定しています」とのこと。なんと、ボクは「午前着」と指定してしまっていたのだ。振り上げた拳をそっと下ろし、痛恨のミスに激しく後悔しながら、配送所の人を拝み倒して荷物を取りに行く手配をしたボク。何が何でも今日手渡して、目の前で彼の喜ぶ顔が見たかったのだ。

 やっとの思いで荷物をピックアップして会社に戻ると、社員が「随分待っておられましたが、次の予定があるらしく、つい先ほど、帰っていかれましたよ」とボクに告げた。ふと、ボクはMR時代の悟りを思い出した。「贈り物は贈る人の満足なのだ」と。(長作屋)