イラスト:畠中 美幸

 A診療所は、地方ののどかな街にある耳鼻咽喉科診療所である。通勤にはやや不便な場所にあり、公共交通機関は1時間に1本程度と少ない。そのため、職員はマイカー通勤が主流だが、事務職員のB子は電車とバスで通勤している。

 B子は実家で両親と同居。実家には自家用車があり、B子も運転免許証は有しているが、同居家族が自身の通勤で車を使うため、B子は自由に使えない状況にある。車が欲しいと思っているが、学生時代の奨学金の返済などもあり、購入には至っていない。多少不便さを感じつつも、電車とバスの時間に合わせて通勤している状況だという。

 そうした中、A診療所のスタッフたちは、B子の彼氏と思われる人物が毎日のように退勤時間に迎えに来る光景を見かけるようになった。スタッフからその話を聞いた院長は、当初は気にも留めなかったが、毎月、通勤手当として公共交通機関の運賃相当分を支払っているので、何だか腑に落ちなくなってきた。特に地方では、大都市部と異なり公共交通機関の料金が高いため、毎月の通勤手当も結構な金額となっている。そこで院長は、顧問の社会保険労務士に相談をしてみることにした。

返還を求めることは可能だが…

 大都市部と異なり、地方の医療機関では、公共交通機関の運行本数が十分ではないことから、職員の通勤はマイカー利用が主流となっている。徒歩や自転車で通勤できる職員もいるが、多くが自分自身のマイカーを有しており、それによって通勤することが一般的である。そのため、患者用の駐車場とは別に職員用の駐車場を用意することもあり、職員数が多ければ、その分、駐車スペースをより広く確保しておく必要が生じる。

 A診療所では、賃金規程に「公共交通機関で通勤の場合は、1カ月当たり通勤定期券相当額の通勤手当を支給する」と記載。B子にも、その通りに支給している。出勤時は毎日、近くのバス停の方角から歩いて来ているので、公共交通機関を用いて出勤しているのは間違いなさそうだ。だが、退勤時に毎日、彼氏に迎えに来てもらっているとすれば、単純計算をすれば、通勤手当の半分はポケットに入れていることになるのではないかと院長は思った。

 こうしたケースは、医療機関においても少なからず見られる。本人が公共交通機関を利用すると申告し、手当を受給しておきながら、それを利用していないことから、厳密に言えば不正に該当し、返還を求めることは可能である。何らかの対応をしなければ職場の規律が乱れ、極論をいえば「何をやってもよい」という風土になってしまいかねない。

 民法第703条では、不当に利益を得たものについては返還を求めることができるという「不当利得の返還請求」が認められている。10年間の時効があるため(民法第167条1項)、最大で過去10年間に遡及して返還を求めることができる。

 ただ、どの程度までそれを求めるのかの判断は難しいところである。今回のB子のように毎日、退勤時に知人が迎えに来ていて、本来利用すべき公共交通機関を用いていないということであれば、相応の返還は求めることができる。だがそうなると、逆に、マイカー通勤の職員が公共交通機関を利用した場合の扱いをどうするのかといったことも、併せて考えなければならない。例えば、マイカー通勤のスタッフが、たまに降雪があったときにスタッドレスタイヤを装着しておらず、公共交通機関で通勤した場合の通勤手当はどうするのか、あるいは、マイカーを修理に出して代車もない中で公共交通機関で通勤した場合にどうするのか、といった問題が生じる。

個別の事情に応じた対応を

 こうした点を考えると、想定される様々な状況に応じて厳密に運用管理することは現実的ではない。本来とは異なる手段による通勤の頻度や事情、悪質性などから、返還や精算について検討するのが得策だろう。

 A診療所の顧問社会保険労務士からは、まず本人と面談をして、送迎してもらうようになった時期、頻度を確認し、それに応じて返還などの対応を考えてはどうか、というアドバイスがあった。ただ、仮に何年もそれが続いており、返還金額が何十万円というような高額になってしまう場合には、しっかりと管理をしていなかった院長側の落ち度もあるため、全額ではなく一部の返還にとどめてはどうかとのことだった。

 その後、院長がB子と面談をして状況を確認したところ、B子はその事実を認めた。彼氏が近くの会社で勤務しており、その帰路に自分をピックアップして自宅まで送ってくれているのだという。最初は1週間に1回くらいだったが、ここ3カ月くらいは、ほぼ毎日になっているとのことだった。

 話をする中で、B子から「通勤手当をもらっているのに、すみませんでした」との言葉があった。ただ、院長がこの話を耳にしたのが1カ月前のことだったため、B子が言う「3カ月前」までは遡及せず、本人との話し合いによって、直近の1カ月分のみ通勤手当の半額程度を返還してもらうことにした。今後も、マイカーを購入するまでは同様の出退勤になるだろうとのことだったので、院長は通勤手当の減額改定を提案。B子自身も納得し、早速運用することになった。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。