イラスト:畠中 美幸

 A診療所は大都市の郊外に立地し、整形外科を標榜している。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が続く中、同院のスタッフにも新型コロナウイルスワクチンの先行接種が行われたが、理学療法士のB男だけは、現在に至るまで接種を頑なに拒み続けている。

 院長がB男に理由を尋ねたところ、「効果に対して疑問があるし、将来的にどんな副反応が生じるか分からないので信用できない」とのこと。A診療所は高齢患者が多く、院長としては、高齢者への感染防止の観点からスタッフ全員に接種してもらいたいと考えていた。だが、強制できないことは理解していたため、B男のスタンスに対し特に何か言うようなことはなかった。

 ところがその後、何人かの患者から、B男に関する苦情が入るようになった。「お宅の職員が『俺はあんなワクチンは信じないので打っていないよ』と言っているが、コロナのワクチンを接種しても大丈夫か。不安で仕方がない」──。患者たちはそう訴えた。話を聞いて院長は困惑したが、苦情が入った以上、何らかの対応はしなければならない。そこで、顧問の社会保険労務士に相談してみることにした。

接種を強いることのないよう注意を

 今年2月、医療従事者に対し、先行して新型コロナウイルスワクチンの接種がスタート。4月には高齢者への接種が始まったが、副反応などに対する懸念から接種を受けるべきか迷っている高齢者も少なくないようだ。

 そうした状況下で、A診療所のB男は、ワクチンへの不信感から接種を受けていないことを患者に伝え、それを聞いた高齢患者らが、接種に対する不安感を訴えるようになった。院長は苦情を受けるまで、B男が患者にそのような話をしていることを把握していなかったという。

 院長は、ワクチンを接種しないことや患者から苦情が出ていることに関し、B男に対する懲戒処分も必要ではないかと考えたようだ。だが、ワクチンを接種しないことと患者からの苦情の問題は分けて考えるべきであり、今回の一連の出来事をもって処分の対象とすることは適切とは言えない。

 まず、前者の接種しない点については、体質上の問題があるかもしれないし、強制できるものではない。そうしたことを無視し、接種を強いるようなことになれば、人権上の問題も出てくる可能性がある。

 医療従事者の中にもワクチン接種を拒む人は一定割合いて、海外では、接種済みの人に食事のクーポン券を配るなどの接種促進策も講じられたと報じられている。日本の医療機関や福祉施設の中にも、スタッフの接種を奨励する目的などから、接種を受けたスタッフにギフト券を配るなどしたところもある。ただ、前述のように体質などの問題でそもそも受けられない人がいるし、そうでなくても、接種しないと決めている人には、金銭的なインセンティブは効かないことが多い。接種の強制ができない以上、管理者としては、やむを得ないものと割り切るしかない。

患者にどのような伝え方をしたのか?

 後者の苦情の問題は、本人が患者に対してどう伝えたのかがポイントになる。患者から「あなたは接種したのか」と聞かれたから「自分は信じられないので受けていない」と言ったのか、聞かれもしないのに自ら伝えたのか、さらに患者に対して「接種しない方がよい」とまで言っているのかによって対応は異なる。

 患者から聞かれたから答えたのであれば、それをもって懲戒処分の対象とするのは適切とは言えないが、個々の患者背景や自院の方針などに関係なく「接種しない方がよい」と勧めているのであれば、懲戒処分の検討の余地はあるだろう。ただ、患者の捉え方は人それぞれで、スタッフの言葉を針小棒大に捉えて苦情を申し立ててくるケースもあるので、そうした点も含め総合的に判断をすることが大切だ。

 A診療所では、顧問の社会保険労務士から「まずは状況をしっかりと把握してから判断した方がよい」と言われたため、院長がB男を呼び出して確認。患者に対して、聞かれていないにもかかわらず「自分は信じられないので打っていない」と言ったことは認めたものの、患者の不安をあおるような、それ以上の発言はしていないとのことであった。そのため、今後は患者から聞かれない限り、自身の接種に関して発言しないよう指導し、処分はしないこととした。B男も院長の話に納得したようで、以来、患者からの苦情は届いていないという。
(このコラムは、実際の事例をベースに、個人のプライバシーに配慮して一部内容を変更して掲載しています)

著者プロフィール
服部英治●はっとり えいじ氏。社会保険労務士法人名南経営および株式会社名南経営コンサルティングに所属する社会保険労務士。医療福祉専門のコンサルタントとして多数の支援実績を有する。