Illustration:ソリマチアキラ

 だめだめ、絶対に言わない、言うわけない。強くそう思っていたのに、ついに言ってしまった、この一言。「うちの会社で働いてみる?」

 ボクには、時に、他人の人生に入り込む、お人よしの一面がある。

 ボクの数少ない交友関係に「自動車ディーラーの担当者」という枠がある。担当者は3~5年で代わるが、いずれも食事したり、ゴルフコンペに誘ったり、仲良く付き合ってきた。5代目の担当者に引き継ぐに当たり、4代目から「車に詳しいベテランと、おっちょこちょいだがフットワークのいい若者と、どちらを後任にするか迷っている」と言われ、ボクはすかさず後者をリクエストした。やってきたのは元気な若者Aくん。開口一番、「ボク、大学までずっと野球部で、勉強とか全然できないアホなんです。でも精いっぱいやりますんで、よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。

 話してみると、確かに社会を知らないし、計算も危うい。ただ、裏表がなく、しっぽをバタバタ振って付いてくるラブラドール・レトリバーのように愛嬌(あいきょう)があり、気持ちのいい青年だ。他のお客さんからも愛されているようで、営業成績も良く、全国でトップを何回も収めて表彰されたという、どっかで聞いたような経歴も持つ。

 そんな彼がある日、「会社やめるんです」と言ってきた。楽しそうに仕事をしていたし、給与も悪くない。だが、仕事があまりにも不規則でプライベートの時間が持てないという。お客さんの仕事が終わってからの対応で、夜は遅くなる。月と水が休みだが連絡が入れば駆け付ける。近く子どもが生まれるが、家族のためにも、もう少し自分の時間が持てる仕事に就きたいのだそうだ。

 転職先は既に決まっているらしいが、どうもよく分からない。彼いわく米国の製薬会社(ボクは聞いたことがない会社だ)の日本支社で、サプリメントを医療機関に販売するという。どうやら美容系クリニックなどで取り扱うサプリメントの販売業者で、おそらく日本支社ではなく、輸入代理店だろう。

 「日本ではこれからなので歩合制なんですけど、営業は頑張れると思うんです」と彼は話す。ちょ、ちょ、ちょっと待って。ゼロから医療機関への販路を作ろうとしているのか。しかも歩合制。うーん。

 数日間、ボクはA君の人生を考えた。気になるやつに出会うと、今の会社に必要かどうかよりも、どうやったらその人がうちの会社で活躍できるかを考えてしまうのがボクのクセだ。うちの会社は、最近店舗が増えていない。在宅患者も増やしたい。彼は営業マンとしては優秀だ。そして、禁断の一言をささやいてしまった。

 「うちの会社で働いてみる?」

 彼が入社して3カ月。毎日のように写真付きのメールが届く。彼は毎朝、出社前に地図を片手に駅前を歩き回り、医療機関の場所や人通りを探っている。薬局のことを色々と教えたら、「営業車いらないです」と早速、街へ飛び出して行った。そして、メインとなる処方箋発行元があり、面の処方箋が取れて、地域の健康ステーションになれそうな立地を探し回っているのだ。「そんな目で街を見たことがなかったから、めちゃ面白いです」と喜々として報告してくれる。禁断の一言から、また大きな花が開きそうだ。(長作屋)