Illustration:ソリマチアキラ

 前回、施設で暮らす90歳になる母が入院した話を書いた。施設のケアマネジャーに「ターミナルに入った」と言われ「そんなこと言ってくれるな!」と思ったけれど、残された時間はそれほど長くないことはボク自身が一番感じている。認知症は少しずつ進み、いつボクのことが分からなくなるとも限らない。

 18歳で実家を出て40年以上がたつが、製薬会社のMR時代から会社創業期、その後も仕事ばかりして、ゆっくり戻るのは正月ぐらいという時期が長かった。最近は若い人材が育ってくれたので人並みに休みも取れるようになったが、以前は車で4時間弱かかる実家まで日帰りで往復することも少なくなかった。10数年前に父を亡くしてから、母は独りで暮らしていたが、寂しい思いもしただろう。罪滅ぼしの気持ちもあり、最近は頻繁に実家に戻るようにしている。

 しかし、1泊、2泊できるようになったとはいえ、それなりに大変だ。何より、何かあってもすぐには駆け付けられない。

 しばらく実家で暮らすか——。ふと、そんなことを思った。ボクが会社にいなくても会社は回る。昔なら薬局で調剤ミスが起こったら、小さなことでもボクがすっ飛んで謝りに行ったが、今はよほどのことでなければボクの出る幕はない。

 しかも新型コロナウイルス感染症の流行によって、大概のことがウェブ会議で済ませられる。世の中はワーケーションなどといって、遠隔地で働く人も増えていると聞く。ボクの田舎は海もあるしリゾート地と言えくもない(ホントか?)。月に何日か出社して、残りはワーケーションという働き方は十分可能だ。

 実家に向かう車の中で、本気でそんなことを考えた。現実的には何の問題もない。だがしかし、1つだけ気になることがある。ボクの実家は、関西の片田舎にある。海辺の静かな、とてもいい町だ。しかし、40年近く都会で疾走してきたボクにとっては穏やか過ぎる。時間があるものだから、ついつい余計なことを考えてしまう。

 先日帰省した際にも、墓のことを考え始めて止まらなくなってしまった。長作屋の墓は、それなりに立派だが、先祖代々だからしっかり古い。ボクが生きている間に、墓を建て直して墓誌を作りたいとずっと考えていた。そのために、墓じまいをした、隣の土地も即押さえた(汗)。会社で仕事をしていれば、時々思い出して「いずれやらなくちゃ」と思う程度なのだが、実家にいると何せやることがない。どんなデザインにしようか、石は何がいいかなど考え、揚げ句の果てに墓石屋さんをのぞいてしまった。

 屈強な石屋さんはグイグイ押してくる。「今発注いただければ、来年のお彼岸には間に合いますよ」。そして、「今なら、建立者にお母様のお名前も赤字で刻むことができますよ。お母様もさぞ喜ばれるでしょう」と、訳の分からない話になってしまった。

 すっかりその気になったが、妹からの電話で目が覚めた。「お墓の建て直しは法事などの節目に合わせるもので、何もないときに触るもんじゃないって、お兄ちゃんも言っていたじゃないの」と。そうだった。死んだ祖母が事あるごとにそう話していた。

 あー駄目だ、駄目だ。やはり実家暮らしなど考えずに、毎日出社して仕事をしよう。都会の方がボクの性に合っている、多分。故郷は遠きにありて思ふもの、なのだろう。(長作屋)