Illustration:ソリマチアキラ 

 2023年も押し迫った年末のある日、家に帰るとダイニングテーブルの上に白い封筒があった。実はボクは白い封筒の郵便物が怖い。これまでに何度か、白い封筒の手紙が届いたことがあるが、突然の退職届けや”タレコミ”など、いずれもろくなものじゃなかった。「またか……」と暗たんたる気持ちになったが、いつもの白い封筒とは何やら様子が違う。まず、サイズが少し大きめなのだ。そしてどこかで見たような文字。達筆ではないが、知性を感じさせる文字だ。封筒を裏返して差出人を見て合点がいった。A先生からだった。

 A先生は、ボクがMR時代に担当していた基幹病院の院長だった。20世紀の終わり頃、ボクはその病院の門前に薬局を作るために相当無理な借金をして土地を押さえていた。その病院が近々、院外処方箋を発行しそうだと情報を得ていたからだ。しかし、院内には反対派もいて「分業して患者が減ったらどうするのか」ともめていた。

 そんな中、医薬分業の理念に賛同し、薬局に期待して分業に向けて舵(かじ)を切ってくれたのがA先生だった。予定より半年ほど遅れてその病院は院外処方箋を発行するようになった。当時の長作屋としては大ばくちだったが、その薬局が後に屋台骨となった。

 その後、A先生はクリニックを開業し、ボクはその近隣に薬局をつくった。そのクリニックも今は、先生の元部下が引き継ぎ、A先生は長作屋の顧問として本社に机を置いている(が、めったに来ないし、顧問料も払っていない)。

 「A先生からだ!」と思った瞬間、ホッとしたのと同時にドキドキした。顧問もやめて隠居するという引退宣言ではないか。「先生、そんなこと言わずにずっと長作屋に居てくださいよ」。そう独りつぶやきながら読み進めた。

 手紙には時候の挨拶に続いて、2010年に遡って冠動脈バイパス手術を受けたことに始まり、自身の病歴がつづられていた。A先生は何度も大病をしながらも不死鳥のごとく復活している。別の冠動脈閉塞が見つかりステントを挿入したこと、さらに大腸がんが見つかり内視鏡下で摘出したこと、その後、今度は前立腺がんが見つかり、それも早期で摘出手術をしたことなど、いずれも早期発見・治療で事なきを得てきた様子が面々とつづられていた。

 話の流れから「大病を幾つもしたのでそろそろ……」と書かれていそうで、そう思うと読み進めるのがもったいない気持ちになって、一字一句噛みしめるようにして読み進めた。

 2023年4月の前立腺がんの後、傘寿(80歳)のお祝いを、ボクが企画して盛大に行った。そのことに対するお礼とともに、その翌日に摘出臓器の病理検査で、ごく初期のもので転移がないことが明らかになったことも書かれていた。

 そして、最後に「何も悪いところがなくなったので、残りの人生、頑張ります。来年は一緒にゴルフをしましょう」と締められていた。

 ん?あ?そういうこと?引退じゃなかったんだ……。何となく肩透かしを食らったような、ホッとしたような気持ちになり、その後、しみじみとうれしさがこみ上げてきた。翌日、ボクは先生の家に飛んで行って年末の挨拶とともに、ゴルフの約束をした。

 白い封筒の郵便物も悪いことばかりじゃない。(長作屋)