トラブルの経緯

イラスト:畠中 美幸

 地方都市に立地する内科のA診療所において、看護師のB子はいつも周りの職員よりも早く出勤してタイムカードを打刻する。

 院長は、これまでは特に気にしていなかったが、最近、近隣の医療機関で勤務開始前の掃除時間について労働基準監督署から時間外労働の賃金の支払いを命じられたという話を聞いて、B子の早朝出勤に問題がないのか気になり始めた。

 タイムカード打刻の記録という「証拠」もある中で、万が一、労働基準監督署による調査が入ったらどうなるのか。そんな不安を抱いた院長は、B子に対し、「そんなに早く来て、やることはあまりないだろう? もっとゆっくり出てきたらどうだ」と言った。

 そうしたところ、B子は院長の発言にカチンと来たようで、「始業より少し前の時間帯は道路が混んでいるから、ぎりぎりになって遅刻しないように早く来ているんです。遅刻しているならともかく、早く出てきて注意されるのは納得いきません!」と反発した。そう言われると院長も返す言葉がなく、対応に窮してしまった。

今回の教訓

 一般企業においてもそうであるが、本来の始業時間よりもかなり早い時間帯に出勤する職員は少なくない。早朝の時間帯の方が、道路が比較的空いているので渋滞を避けることができるとか、電車のラッシュに巻き込まれたくないといった理由が大半で、多くの場合、本人に悪意はまるでない。

 そうした中、近隣の医療機関において、勤務開始前の掃除の時間が労働時間と認定されて労働基準監督署から時間外労働の賃金の支払いを命じられたという情報に、院長が不安になったのも無理はないだろう。

「強制」かどうかがポイントに
 そもそも、労働時間とは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」という考えが最高裁判例(三菱重工業長崎造船所事件、2000年3月9日判決)で確立されていることから、指揮命令の有無が労働時間か否かの判断のポイントとなる。本来業務ではない業務であっても「強制」であれば、その時間に応じた賃金を支払わなければならない。看護師にとって掃除が本来業務でなくても、それが「強制」であれば労働時間と考えるのが基本である。

 この場合の「強制」については、「それをやらなかったら何らかの不利益を受ける」場合は全て強制と考えるべきであり、「注意をされる」「賞与が他の職員よりも低い金額で支給される」などは、不利益と扱われる。残業が強制されているにもかかわらず賃金が支払われていないという訴えがあった場合、労働基準監督署による調査は、職員への直接の聞き取りとなることが少なくない。実態はどうであったのか、本人以外を含め、職員に直接聞くことによって把握するのである。

 では一方で、今回のケースのように自主的に早く出勤した場合は、どう扱えばよいのか。上記の考えによれば、「強制」でもなければ指揮命令もないので、労働時間ではないと考えることができる。

 しかし、退職前に本人が「今までの早朝出勤では仕事をしていたので、時間外労働の賃金を払ってほしい」と主張してきたらどうだろうか。「仕事をした」「いや命じていない」といった水掛け論が続くことになりそうだが、タイムカードなどによる記録があり、本人の申し出がある以上、事業主側の立場は極めて弱くなることは間違いないだろう。