トラブルの経緯

イラスト:畠中 美幸

 A診療所では、扶養家族がいる職員に家族手当を支給しているが、あるとき、看護師B子に対し、本来の金額より多めに支給し続けていたことが発覚した。5年ほど前に何らかの理由で金額を間違えて支給し、以来、その額で支払い続けていたことが分かった。

 院長は、クリニック側のミスということで後ろめたさを感じながらも、多く支払った分は返還してもらわなければならないと考えた。そこでB子に対し、支給額に誤りがあったので返還してもらいたいと伝えたところ、「私に非がないのに、なぜ返還しなければならないんですか? 今さら言われても、そんなお金を用意できないし困ります」と不服そうな表情を見せた。日を改めて説明したものの、B子はやはり納得できないという。

 とはいえ、院長としては、やはり本来の金額を上回る分をB子が得ている状況はおかしいし、他のスタッフがその事実を知れば、B子を特別扱いしていると思われかねないと考えた。B子が同意してくれないのであれば、不本意だが、強制的に徴収するしかない——。そう考えた院長は、翌月以降、給与から少しずつ控除することを決めた。その準備に着手し、手続きを進めていたところ、顧問の社会保険労務士が一連の経緯を把握。院長にストップをかけるに至った。

今回の教訓

 医療機関では、病院、診療所を問わず様々な手当を設定していることが多い。基本給を軸に、有資格者に対しての資格手当や扶養対象家族を有する職員への家族手当、賃貸アパートなどへの居住者に対しての住宅手当、その他、精勤手当、皆勤手当など、それぞれの医療機関が独自に制度を設け支給している。

 そうした手当の支給に際し、本人の虚偽申請によるのではなく、事業所側の手違いで金額を誤って支給してしまうこともある。事務担当者の勘違いや処理の失念などが原因となるが、給与計算ソフトで同じ金額を継続して支払うよう設定していると、誤った設定に気付くことなく、長期間にわたり誤支給が続くこともある。B子のケースは、まさにそのパターンに該当する。

 過払いとなった場合、経営者である院長としては、単なる間違いであるため、その差額は全額返還してもらいたいと思うものである。そのため、誤りであったことと、翌月の給与支給額から控除をさせてもらう旨を本人に伝え、実行に移そうと考える。しかし現実的には、年単位で誤支給が続くと、とても1回では控除しきれず何カ月にもわたってしまい、手取りがほぼゼロの状態が続いてしまうことになりかねず、職員は当然不満に思う。今回のケースのように、給与計算の処理をする側のミスで、本人に全く非がないというのであれば、返還には納得できないという言い分もよく分かる。

 まず、今回のようなケースにおいて、職員から返還してもらうことが法的に可能かどうかについては、認められるものと考えてよいだろう。民法第703条には、不当利得の返還義務が定められている。同条には「法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損害を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」と規定されており、これが根拠となる。そして、不当利得の返還請求に当たっては10年間の時効があるため(民法第167条1項)、過去に遡及して10年間分は返還を求めることができるというのが法律上の考えである。