Illustration:ソリマチアキラ 

 長作屋の本社は10年ほど前、1号店から別の場所に移転した。社長室は新本社にあるが、1号店への思い入れもあって、ロッカーはそのままにしていた。今では、業務で1号店を訪れる機会はほとんどないが、ボクは半年に1回、必ず1号店に立ち寄ってそのロッカーを利用している。理由は……、時計を取り換えるためだ。

 1号店のロッカーには、皮ベルトの時計の箱とチタンベルトの時計の箱が入っている。汗をかく夏場にはチタンベルトの時計を、夏が終われば皮ベルトの時計を付けていて、その交換のために1号店を訪れるのだ。

 実はその皮ベルトの時計は、外資系製薬会社のMR(医薬情報担当者)をしていた当時の上司、A支店長がしていた時計と同じもの。MR時代、ボクは常に全国で5本の指に入るほどの営業成績を誇っていたが、国立大学薬学部出身のA支店長から「仕事は王道でするものだ、お前はケモノ道で仕事をしている」といつも怒られていた。

 当時、ほとんどのMRは夜討ち朝駆け、医局の前でお目当ての医師を待ち、面談の機会をうかがっていたが、ボクはそれが大嫌いだった。一瞬の隙を狙ってパンフレットを渡し、拝むように処方のお願いをするような仕事の仕方は恰好悪い。そう思っていたボクは、組織の中で有力な医師に直接アプローチし、同種同効薬の中で自社製品が優れている理由を理解してもらう戦法で攻め落とす営業を得意としていた。そのスタイルで最終的には、医局やカンファレンスルームに自由に出入りできる立場を手に入れ、長時間、待機する他社のMRたちを横目に堂々と入っていき、荷物を置くロッカーまで与えられるほどだった。今思えば、地道な営業活動を好まず、力仕事で居場所を作り上げるボクの手法は、組織を運営するA支店長にとって扱いにくい存在だったのだろう。

 A支店長のせいではないがその後、ボクは会社をやめて長作屋を立ち上げた。その頃、大きな仕事を成し遂げた時には自分へのご褒美を買うようにしていた。3年目に、地域の基幹病院前に大型薬局を作った時に買ったのが、A支店長と同じ時計だ。彼のことは最後まで好きになれなかったが、そのファッションセンスに憧れていた。やっと買った思い入れのあるその時計を、1号店が本社だった当時からロッカーに大切に保管し続けていたのだ。

 それなのに……。ある日、1号店に立ち寄った際、薬局長に「社長、このロッカー、ほとんど使っていませんよね」と声を掛けられた。最近、施設在宅が増えてスタッフを増員したのでロッカーが足りないというのだ。「荷物が……」と抵抗してみたものの聞き入れられず、翌日、ボクの大切な時計の箱が本社に届いた。

 薬局長が長年、在宅患者を増やそうと頑張っていたことや、その甲斐あって応需処方箋枚数が右肩上がりであることは知っている。スタッフが増えて手狭であることも理解する。でも、会社設立当初からずっと使ってきたロッカーが使えなくなるのは何とも寂しい。大学病院の医局にロッカーを作ってもらえたボクなのに、自分の会社の1号店からは追い出されるなんて……。そう思いつつも、届いた時計の箱を眺めながら、「ボクのロッカーを使ってもらうのが一番だよな」と自分に言い聞かせた。(長作屋)