トラブルの経緯

 今回紹介するのは、首都圏の私鉄駅前で内科診療所を開業した医師のケースだ。この駅前を開業場所に選んだのは、前勤務先の病院から離れておらず、自宅からも近かったため。既存の競合医院が数多くあるので、患者獲得に苦戦することは院長も覚悟していた。

 立ち上がりの収入が少なくてもやっていけるようにするには、コストを圧縮することが欠かせない。固定費である人件費を減らすため、職員はパートを活用し最低限の体制で臨む必要があったが、看護師については常勤職員の確保が不可欠というのが院長の考えだった。

 実際に確保できるかどうか不安だったが、幸い勤務先病院の同僚である30歳代後半の看護師Aさんが病院を退職して手伝ってくれることになった。給料は同じ金額でいいとのことで採用を決めた。ただ、彼女の言う「同じ金額」とは手取りの金額のことで、給与から控除される健康保険や厚生年金の保険料、源泉所得税を含んだ総支給額は高額になってしまった。チーフの役割を担ってもらうことを期待し、この職員を安易に採用したことがトラブルの端緒となった。

院長の知らぬ間に予防接種が「予約制」に
 院長はできるだけ診療に専念したいと考えており、それまで経験のない人事管理をどうするかと悩んでいたところ、開業準備中に近くの調剤薬局のオーナーで薬局長のB氏があいさつに来た。人を使う経験が豊富で、調剤薬局内の職員トラブルを解決してきたという話を聞き、「院外事務長になって人事管理をお願いしたい」と申し出たが、それは断られた。

 そこで院長は、「リーダーになってもらう看護師Aさんを採用しており、その者に人事は一任する予定なのでアドバイスをお願いしたい」と申し出た。

 B氏からは「人事管理は院長か奥様が行うものであって、開業後間もない診療所の職員にさせるものではない」と言われたが、院長は「自分は診療に専念したいし、妻は育児に追われているので難しい。Aさんは同じ病院で働いていたし、気心も知れているので任せたい」と伝えた。「そういう事情であれば、院長の権限を冒さないように、できる範囲でアドバイスさせていただく」と、B氏は院長の申し出を了承した。

 最初のトラブルは、インフルエンザの予防接種が増え、業務が多忙になってきた時期に起こった。

 ある日、Aさんが「受付のパートは主婦なので残業できない。私も看護師としての仕事で手一杯なので、受付のパートを増やしてほしい」と言ってきた。予防接種以外の時期は現状の人員体制で十分なので、増員は難しい。「何とか今の体制で頑張ってほしい」と院長は伝えた。

 後日院長は、患者から「予防接種の予約がやっと取れました」と言われ、自分の知らぬ間に予約制になっていたことを知った。Aさんが、院長に相談せずに勝手に予約枠を決めて人数を制限し、残業しなくてもよい体制を構築していたのだ。

 なぜ予約制を採用したのかとAさんを問い詰めると、「薬局長のB氏に相談したら、『職員を増やせないのであれば、予防接種などの患者数を制限するしかない』とのアドバイスを受けた」とのこと。B氏に問い合わせると、「患者数が減ると処方箋の受付件数が減るので、そんなアドバイスをするはずがない」との回答があった。

 院長はAさんに厳重注意することも考えたが、この忙しい時期に機嫌を損ねて退職されると、すぐには看護師の補充ができず、困ることになると思い、何もしなかった。