——そんな好条件の産業医になれたのに、約9カ月で辞めたのはなぜですか?

 自分で希望した仕事ですから、意欲に燃えて取り組んでいたのですが、入って2〜3カ月で嫌気が差していました。元からいた保健師とちょっとしたことで衝突を繰り返し、それが感情の対立へと発展。最終的に、修復できなくなってしまったんです。

 最初は些細なことだったと思います。私がふとしたときに、「前の職場ではこうしていた」とか言ったのが良くなかったのでしょう。「産業医の経験がないくせに、知ったような口ぶりをして。そんなのはうちの会社の基準とは合わない。私たちのいうことを聞いてやればいいのに」と反感を買うことになりました。

 そして、いつのまにか「先生は、健診の判定だけをしてくれればいいですから」と、私がいてもいなくてもいいような状況を作られてしまった。実際の社員との細かいやりとり、健康管理のマネジメントは彼女たちがメーンですからね。それに、ここでも医局の力を痛感しました。地元国立大学への信頼が厚く、この大学から派遣される医師は彼女たちもチヤホヤするんですね。まさかこんなことが壁になるとは思いもしませんでした。

 結局、仕事上の主導権が握れずにストレスがたまる一方だったので、9カ月でこの職場を辞めました。

——保健師とは関係修復できなかったのでしょうか?

 その企業の人事担当者には保健師との仲裁をお願いしたのですが、うまく取り計らってはくれませんでした。代わりに「(辞めるなんて)今までの経歴をドブに捨てるようなものですよ」というキツイ言葉を言われたのですが、恐らく引き止めるつもりで言ったんでしょうね。

 私自身、うつ病の既往歴がありましたから、自分がまた壊れるんじゃないかと怖かった。医局のしがらみや、経歴に傷がつくことを恐れて仕事を続けている方もいると思いますが、私はつまらないプライドより自分の健康を取りました。実は私の前に勤務していた産業医大卒の医師も、別の保健師と折り合いが悪くなって辞めたそうです。

——今はどんなお仕事をされているのですか?

 産業医を辞めた直後から、今の病院に勤務しています。ベッド数が約100床の一般病院で、リハビリテーション医として入院患者の約半数を担当し、合併症の管理や退院後の生活の指導などをしています。産業医の空きがなく、医師紹介会社に強引に面接させられたのがこの病院でした。リハビリは専門外で不安だったのですが、自宅から近く、さまざまな大学出身者が集まっていて派閥がない点が気に入りました。

 今は産業医時代の2倍は働いていると思います。年収は1700万円。どうも人材が定着しないらしく、専門医でもない私にこれだけの破格を提示したようです。地元国立大学の医局傘下でないことは、私にとっては良い環境なのですが、病院としては医局人事がないので大変だと思います。

 実は保険の意味もあって、週1回別の病院にアルバイトに行っています。今のうちに稼げるだけ稼がねばと思っています。医師が増員されたら最初に淘汰されるのは、恐らく専門医でない私のような人間ですから。