40年間、大学で基礎医学の道をまい進。定年退職後、大学時代の同期に誘われ、介護老人保健施設(老健施設)の勤務医に。臨床経験ゼロから再出発し、認知症サポート医を取得した。認知症患者との触れ合いから、学びの多い日々を送っている。


杉本繁雄(仮名)さん
老健施設の勤務医。国立大の医学部を卒業後、1年間のインターンを経て、母校の研究所に就職。助手、助教授として約30年勤務した後、私立医大の教授となり、約10年教壇に立つ。65歳で定年退職を迎え、大学時代の同期が立ち上げた老健施設の勤務医に。70歳代、妻と2人暮らし。

——現在の仕事に就くまでの経緯を教えてください。

 私は大学の医学部を卒業してから40年間、「臨床医は一人ひとりを治し、基礎医学者は万人を癒す」という言葉を誇りに、一貫して基礎医学の道を進んできました。はじめの28年間は大学の研究所に、その後の12年間は医学部に勤務し、研究と教育に携わりました。その間、患者さんを診ることは全くありませんでした。

 定年退職を控えた頃、大学時代の同期から、「老健施設を立ち上げたので、勤務医として働いてくれないか」と誘われました。臨床経験がないので患者さんを診る自信はありませんでしたし、退職後は自分の時間も持ちたいと考えていたので、当初は少し迷いました。でも、「施設に併設する診療所には常勤の医師がいるし、仕事は医見書や診療情報提供書などの書類書きの方が多い。勤務は週3日でいい」と言われて、やってみることにしました。

——実際に働き始めていかがでしたか。

 最初の頃はやはり、苦労することもありました。薬を処方する場合に、一般名は分かっても商品名が分からなかったり、静脈注射がうまくできなかったり。そういう時は恥ずかしがらずに、薬剤師や看護師に教わりました。

 施設は一般の要介護者が入所する棟と認知症の要介護者用の棟に分かれているのですが、認知症の要介護者の診療については、常勤医や私以外の非常勤医も習熟していませんでした。そのため、自分で勉強するしかありませんでした。研修に参加して、認知症サポート医の認定を受けました。ただ、そうした技術的なことよりも、日々患者さんと接する中で学んだことの方が多いですね。

——例えばどんなことでしょう?

 老健施設で働くようになって最も強く感じたのは、どれほど医学の知識と技術に精通していても、病気を診るだけではだめだということです。患者さんの人間全体を診なければいけないんですね。それには、患者さんとの意思疎通、心のつながりが非常に重要です。

 そのために、できるだけ多く、患者さんと話す機会を持つよう努力しています。診療で患者さんの訴えや悩みに耳を傾けるだけでなく、何気ない世間話もします。そうすると、診療での質問では気づかなかった生活習慣が分かり、診断・治療に役立つことがあります。

 高齢者は、家族や周りの人に話を聞いてもらいたいと思っても、「また同じことを話しているな」と思われがちで、受け流されることがあります。ですから、ちゃんと話を聞いてもらえるのがうれしいようですね。そうして話を聞いていると、同じことを言っているようでも、新しいことを話しているのに気づくことがよくあります。