次に移った病院も田舎にある小さな病院でした。ここへはある団体から強く勧められ、院長として赴任しました。この病院もご多分にもれず医師が次々と変わるところで、当初医師3人で何とか回していましたが、数年前に若手の医師1人を残し、院長と副院長が同時にいなくなったという曰く付き。幸い、私が来て数カ月後に年配の内科医が加わってくれ、医師3人体制が整いました。

 ここもまた経営がひっ迫した病院で、何と言っても「黒字化」が町長からの強い要望です。そこで私は休止していた透析を再開したり、リハビリ施設を開設したりして増収を図りました。さらに夜間外来を開いたほか、病棟にはベッドコントロールができる看護師を配置して“塩漬け患者”を整理。平均在院日数を26日から19日に減らし、診療報酬のアップを図るなどの努力をして、着任2年後には、交付金をもらってではありますが単年度黒字を計上できました。

 それまでの2年のうち、実質1年半くらいは、私と内科の医師は年休を1日も取らず、働き詰めに働きました。その努力のかいがあって、この数字を達成できたと自負しています。しかし、この病院も3年足らずで辞めました。

——黒字化を達成しながらも、なぜ辞められたのですか。
 かつての町長は「この病院を何が何でも守り抜く」という強い意思を持った“病院存続派”でしたが、のちに新しく当選した町長は“赤字なら廃止派”で、大きな後ろ盾を失ったことが要因の1つです。それに加え、黒字化したことを全く評価しない事務職、「ここがつぶれても私たちは平気。すぐに他の病院へ行ける」と能天気にうそぶく看護師たち、少しの落ち度でも「お前たちは自分たちの税金で雇ってやっているんだ!」と居丈高に文句を言う一部の住民などなど…。

 黒字転換後には医師は再び2人体制になっていて、無理を承知で2人で3人分の仕事をして頑張っていましたが、「この病院は助けるに値しない!」とついに堪忍袋の緒が切れました。応援の医師が常勤で来てくれることになったことを機に、辞めることにしました。

 その後、別の地域の公立病院での勤務を経て、今年からある私立の総合病院で院長を務めています。先輩に「つぶれそうな病院があるから、再建してほしい」と頼まれたのが理由ですが、解決すべき課題は多く忙しい割に、年収はそれほど良くありません。ですが、私の医療+αの能力が生かせるのでとてもやりがいがあり、またもや休みも取らず楽しく毎日を過ごしています。

——転職を希望する人に何かアドバイスはありますか。
 公立病院に関して言えば、もし転職の際に「院長募集」とあったら気をつけた方がいいと思います。私が見てきた中では、町長などが日々の診療や経営に口を出してくるため、院長が腹を立てて辞めていくパターンが少なくないからです。「医師がいない病院」「医師が居つかない病院」は、つぶれる運命を自ら選んでいる場合があることを、しかもそのことに気づいていない場合があることを、地域病院の院長を経験してつくづく感じました。

 私の場合、転職に当たっては、知人、先輩、後輩からの情報が大切だと思いました。その病院の内実をよく知らない業者や団体の口車に乗ると、結局期待外れに終わる可能性があります。年を取ると友達をつくることが難しくなりますので、医局時代にできるだけ人脈を構築しておくことをお勧めします。社会は結局、人と人との関係性で成り立っていますから。