大切なのは、家族への「達成感」の提供
 家族は利用者にとって、“最大の医療従事者”として関われますから、何かの医療行為(例えば、ポートカテーテルやら吸引等など)を行っていきたいかどうか、家族に意思を確認することが重要です。入院中に受けたそれらに関する指導は、ほとんど忘れている方が大半ですので、訪問看護師には一から臨むことが求められます。当然、家族とはその際に係る費用(保険請求)と訪問頻度(最大では1カ月93回の訪問が可能)の話もしないといけません。医療行為を家族が引き受けるか否かは、こうした費用負担や、亡くなる方との関係性(向き合い方)との兼ね合いが非常に大きいのです。

 褥瘡のリスクの高い方は、病院で当たり前のように「1〜2時間おきに体位変換を行うように」と指導を受けてこられます。ですが、それでは家族の負担が極めて高くなります。福祉用具のレンタルで、安価で自動体位変換機能のついたマットレスを借りることが可能ですから、在宅ではそれらをお伝えしていきます(本来、こうしたことは、入院中の退院前のカンファレンスでお伝えできることが望ましいのですが……。そもそも、病院は指導が完全に終わらないと患者を在宅になかなか帰してくれません。このことも考えものです。帰す時期が遅すぎると私は常々思っています)。

 在宅で過ごしていく中での最大の課題は、家族の休息の確保です。気が気ではなくてお休みになれない方が多いのですが、いつも通りの生活をいかに続けて頂けるか、そこは訪問看護の本領発揮といったところです。患者さんを自宅に連れて帰ることを決意されただけで十分なのです。私は家族にそのことを理解して頂けるよう、「亡くなる前よりも亡くなった後の心労の方がこたえますから」と、その都度休息を促していきます。

 不思議なことにこれまで数多くの看取りに関わる機会がありましたが、医療行為をはじめ患者さん本人と数多くの関わりを持てた家族は、亡くなるまでの期間の長短にはこだわらない方が多いようです。「やれることはすべてやった」との自負が、期間ではなくそれを超える価値を生み出しているのだろうと考えています。

 病院から自宅に戻ったケースの話になってしまいましたが、在宅で過ごしていた方が終末期に突入した場合も、同様です。前述の流れから退院時カンファレンスを除いた行程で、患者さん・家族の意思決定を支えていきます。

 在宅での看取りに関して、これまでに得た私の教訓は、息を引き取る時に患者さんのそばに何時間もいることよりも、最期のその時を迎えるまでに家族にどれだけの達成感を提供できるか、訪問看護師としてそのことに賭けていくことの方がむしろ重要であるということです。

 死は誰にでも平等に訪れます。ターミナルの方の残された大切な時間を、“その場しのぎ”の救命・延命治療に割くのではなく、在宅での看取りの時間に充てる——。それを当たり前のこととして受け入れられるような社会が訪れることを、切に願ってやみません。


つぼうち のりこ氏●1988年東京女子医大付属看護専門学校卒。同大付属病院、日本医大多摩永山病院などを経て、98年から訪問看護に従事。セントケア(株)訪問看護部次長、(株)ミレニア訪問看護サービス部長を務め、訪問看護事業所の立ち上げと運営・教育に携わる。2013年におんびっと(株)を設立。訪問看護ステーションへのコンサルティングや教育事業を手がけ、14年2月から訪問看護サービスをスタート。