質問
 訪問看護を始めて1年です。病院を辞めた理由は、コストの関係でエンゼルケアを十分させてもらえなかったことです。これでいいのかとの疑問がずっとあり、訪問看護に転職しました。ですが、在宅の現場でもターミナルの捉え方がまちまちで、困惑しています。

回答者
坪内紀子(おんびっと[株]代表取締役)


 思い出します、私が訪問看護を始めたころのことを。当時所属していた会社の訪問看護部での会議の一光景を……。会議の席上、あるステーションの管理者ナースがこう言いました。

 「先日、1件お看取りをしたのですが、お亡くなりになるまでの6時間ずっと側にいて、いい経験ができました」。

 それを聞いた会議の数十人の参加者は皆、「いいことしたねー」「素晴らしい」と“美談”に酔いしれていました。私一人を除いては……。

 「6時間も患家にいて、その看護師に払われる人件費はいくらなの?」「利用者には一体いくら請求するの?」。私の頭の中からは、次から次へと疑問が湧き出てきました。後日、利用者家族への請求は1訪問分に終わったと聞き、非常に落胆したのを覚えています。結局、コスト意識のない看護師の自己陶酔話だったわけです。この日から、「最善のケアを提供して〜」と言いながら自己満足感のみを高めるのに明け暮れている、「利用者のために」が口癖だけれど自分のための言動が目立つ、そんなナースたちとの私の“終わりなき戦い”が始まったのです。

 ご承知のように、日本はターミナル終末期と言います。何も癌の末期だけを指すのではなく、もっと広義の意味で用いています。病名が何であれ、「死にゆく直前の時期を過ごしている人」と捉えることができます。

 病院では、亡くなりつつある利用者の傍らに親族が陣取り、今か今かとその時を待っているという光景がよく見られます。大抵の場合、最期には心電図モニターが装着され、心臓の動きが病室やスタッフステーションで確認できます。そしていよいよという時、医師はその場に居合わせている身内にこう言います。「近親者をお呼び下さい」。

 一方で在宅の場合、心電図モニターを装着されている方はまずいません。家族よりも先に医療者が異変に気付くということも大概の場合ありません。

 患者さん自身が意思決定できる場合、最期の場を病院にするのか自宅にするのか選択できます(残念ながら、この辺をきちんと説明できている病院が少ない気がしてなりませんが……)。しかし、多くの場合は家族への遠慮などが先走り、医療設備の整っている(と思っている)病院を選択される方が、現在80%以上を占めるようです(これは、日本において最期を過ごす場の大勢が自宅から病院となった1970年代以降、現在までうなぎ上り状態です。そして国は、この現状を変更していきたいと考えています)。

 20%弱の「最期は自宅で」を選ばれた方の多くは、ご本人・家族共に相当な決意を持って臨まれます。訪問看護師はその決意を支えていく一方で、家族にとって「肩の荷が降りるような関わり」が求められると私は考えています。