質問
 首都圏で訪問看護ステーションの管理者をしています。先日、高齢の難病患者さんが自宅で急変し、以前入院していた地域の基幹病院に救急搬送を依頼したところ、断られてしまいました。ほかの病院も受け入れ不可で、そうこうしているうちに自宅で亡くなりました。医師の死亡確認が遅れて検死扱いとなり、ご家族ともども悔いの残る最期となってしまいました。退院時、病院側は「何かあればいつでも受け入れますよ」と言っていたのに、あんまりです。

 かつて私も、同じような経験をしました。退院時カンファレンスで病院の主治医が「何かあればいつでも連れてきてください」と言ったにもかかわらず、急変時に救急車を呼び救急搬送を求めたところ、電話口で当直医から断られたのです。救急隊員に代わって私が電話で、「主治医の○○先生が受け入れてくれると言ったんです!確認してください!!」と当直医と喧々諤々のやり取りをし、最終的に受け入れてもらいました。

 結論から言うと、退院時カンファレスの席上での主治医との口約束を、鵜呑みにしてはいけません。状況を全く分かっていないバイトの当直医から搬送を断られることは往々にしてあります。私はカンファレンスの際、主治医から「いつでも受け入れます」と言われたら、すかさず「先生が不在の際にもですよ!」と念押しし、カンファレンスの記録に残し、帰社後マーカーまで引いています。

 そもそも、質問にあるような難病の高齢患者さんであれば、退院時になぜ訪問診療を入れなかったのでしょうか。病診連携が叫ばれて久しいですが、地元の開業医でなく長年通っている総合病院の勤務医が主治医であるという患者さんは、依然として多いのが現状です。そういう患者さんが入院し在宅に戻る際には、地域で責任を持って診てもらえる医師をきちんとアレンジしておくことが肝要です。退院時の段取り不足の感が否めません。

 先般、こうしたケースなどを「看取りの困難事例」として、日本看護協会は在宅での看取りの規制緩和を求めていますが(関連記事)、これらをもって看護師の役割を拡大云々という議論を展開することには、個人的には疑問を感じます。現場で見直せることもまだまだあるはずです。

119番してしまう家族の心理
 一方で、在宅医や訪問看護師が救急搬送を要請する以前に、終末期の患者さんの意識レベルが低下したり苦しがっている状況を目の当たりにした家族が、思わず救急車を呼んでしまい、結果的に自宅で最期を迎えられなかった——というケースも少なくないと耳にします。

 ご家族は医療職ではないわけですから、目の前で身内である患者さんが苦しそうにしていたり呼吸の様子がおかしかったりすれば、動揺するのは当然です。重要なのは、ご家族の心は揺れ動くものという前提で、間違いなくそこまでやってきている「死」について在宅医や訪問看護師がご家族と話し、今後起こり得る変化や対応について事前にしっかり伝えておくことです。

 一般的に臨死期には、(1)便臭が強くなってくる、(2)尿量が徐々に減ってくる、(3)食欲が減退するもしくは一時的に旺盛になる、(4)意識が朦朧(もうろう)としたりおかしな言動がみられる(まれに混沌としていた意識が明瞭になることもあり得る)、(5)顎や肩で息をするような下顎呼吸や努力様呼吸が表れる——などの変化が見られることがあります(もちろん、疾患によっても症状の出方は異なります)。

 とはいえ、これらの症状について、いきなり通り一遍の説明を家族にすれば、単に不安をあおるだけです。私は、「気にしすぎかもしれないけど、昨日よりちょっとおしっこの量が減ってきているかも」などと、家族がこれらのいずれかの症状について気に掛ける様子が伺えた時点で、そのほかに出現し得る症状について説明するようにしています。こうした質問を寄せる家族は、それ以外の変化に関しても「知りたい」と思っている場合が多いためです。

 ただし、これらの症状の出現有無を確認するために、患者さんを始終観察する必要はないことも念押しします。一生懸命になりすぎて疲弊してしまう家族もいるからです。普段通りの生活をして構わないことを伝え、気付いたときにたまたま(1)〜(5)のような症状が出ていた、という程度の観察で構わないと説明します。また、例えば、便の観察に抵抗があれば、この時期なら大抵1日1回は看護師が訪問しているでしょうから、「訪問時に看護師が確認するので大丈夫です」と伝えます。

 このようなことに実践している当ステーションでは、退院時には「最期を自宅でなんて考えられない」と口にしていたご家族が、「そろそろ最期かもしれない」と予測がついたときに、救急車を呼ぶでもなくむしろ「せっかく家に帰ってきたんだから、このまま家で最期まで看ます」とおっしゃり、自宅で最期を迎えるケースを多く経験しています。スタッフには、「うちのケアがいいからきっとご家族も安心できたんだよ。家で看取ることは思っていたほど大変じゃないと、ご家族が理解されたのね」と伝えています。毎日訪問を続ける中で、患者さん・ご家族に安心感を与えられた結果なのだと思っています。

 在宅での急変や看取りへの対応には、患者さんの身内ではない私たち看護師が家族にどこまで共感してあげられるかにかかっていると言えます。その前提として、私は管理者と家族との信頼関係が重要であると考えます。そのために当社では、退院時カンファレンスや初回訪問には管理者である私が必ず出向いています。管理者を信頼してもらえれば、日々訪問するスタッフに対しても信頼を寄せてくれます。そうした患者・家族との関係性があってこそ、死を「当たり前のもの」として自然に受け止め、在宅で最期を迎えることが可能になるのだと思います。