——医局を離れることになった経緯を教えてください。
私が大学卒業後に入った医局は自由闊達な雰囲気があり、とても居心地の良い環境でした。私は他大学の出身でしたが、何ら区別されたり冷遇されたりすることはなかったですし、自由に発言ができました。これは当時、医局を束ねていた教授の人間性や考え方によるところが大きかったと思います。
ところが、医局に入って3年くらい経ったころ、教授が替わり、医局内の雰囲気ががらりと変わってしまいました。新しい教授は独裁的な人で、言いたいことが言えなくなってしまった。教授に気に入られないと、やりたい仕事も勉強もできない。にもかかわらず、僕は以前と同じように、おかしいと思うことには「おかしい」とはっきり言っていたので、教授にはかなり煙たい存在だったと思います。事実、けんかもよくしました。
ちょうどそのころ専門医資格の取得にメドがついたこともあって、僕は医局を離れる決心をし、教授には他大学の大学院で基礎研究をすることにした旨、手紙に書いて送りました。人生は短いし、誰かにへつらって生きるのは嫌だったんです。まあ、僕も若かったんですね(笑)。そうして医局人事から外れたんですが、なぜか除籍にはならなかったんですよ。なので、何人かの先生とは今でもお付き合いが続いています。
——医局から離れ大学院で学んだ後はどうされたのですか?
大学院で4年間学んだ後、約10年前から特定の医局や医療機関に属さず、複数の病院の非常勤医として医療に携わっています。大学院時代、基礎研究のかたわら非常勤のバイトをしていたときに思ったんですよ。「こういう働き方もありかな」と。
医師といえば、特別な仕事のように聞こえるかもしれませんが、僕は、八百屋さんや魚屋さんと同じ、一自営業者だと思っているんです。彼らは、別にどこか大きな組織から仕事を順繰りに回してもらっているわけではないですよね。だったら、「医師だって、自分で仕事を探し、自分の力で稼いで生きていくべきだ」と考えたんです。
ただ、いざこのような働き方を選ぶにあたっては、医局の先輩のほか、医療とは全く関係ない業界にいる友人、知人などに相談しました。「前例は少なそうだけど、やってみたら」というのはたいてい異業種の人で、先輩医師などはどちらかというと否定的な見方が多かったです。「医局にいれば、必ず行き先を見つけてくれるという安心感がある」という人もいます。たしかにそうした面はありますが、少なくとも6年間の医局生活の中で、行き先を「決めて」はくれましたが、私に合ったところを「探して」くれたわけではなかったと思います。