上司の死をきっかけに医局を出たが、次の職場探しは常勤医ではなく、非常勤医の案件を探した。それは自らの“婚活”を優先するためであり、お見合いの仲人さんが発した「ひと言」がきっかけだった。
——医局を離れたきっかけは?
直属の教授が47歳の若さで亡くなりまして。ほかにも眼科の医師の急逝が重なりました。当時私がいた眼科はとても忙しく、このまま忙殺されて上司の二の舞になりたくはないと思い、医局を離れて内科に転向しました。
——その後の勤務先はどのように見つけたのでしょう。
インターネットで検索して、医師紹介会社に登録しました。そちらから、非常勤で働ける病院を紹介してもらっていました。
——なぜ、非常勤を条件にされたのですか?
私の出身地方では、私が医師になりたてのころは「お見合い」で結婚する人が意外と多く、昔ながらの世話好きな仲人さんも健在でした。そうした仲人さんから「バリバリ働かない女医さんの方が、お見合いには向いているのよ!」と聞いていたので、非常勤を条件に探すことにしました。その当時は、時給制の非常勤医の方が収入が高かったことも理由の1つです。
——いわゆる“婚活”を優先されたわけですね。
ええ、そうですね。実際、お見合いの件数はかなりの数ありました。よくあった話としては、親が病院を経営しているのに、子どもが1人も医師免許を持っておらず、跡継ぎを探しているというケースですね。その場合、お見合い相手の方はかつて医学部を志したものの叶わなかったり、途中で挫折していたりしてコンプレックスを持っている人が多く、話を聞いているとつらかったです。
また、男性医師とのお見合いもよくありましたが、こちらは逆にプライドが高く、性格的に問題がありそうな人が多くて…。なので今は、違う世界の話が聞けて楽しいので、異業種の人がいいかなと思っています。でも、以前お見合いした方にも「女医さんと結婚したら尻に敷かれそう…」と言われたことがあり、なかなか難しいものです。結婚相手を探そうと思って探しているうちは、巡りあえないものなのかもしれません。
——非常勤での勤務先はすぐに見つかりましたか?
そうですね。当時は眼科や内科のアルバイトは引く手あまたでした。先輩や上司からほかの病院に誘われることがあったり、医師紹介会社からもよく連絡がありました。医師紹介会社を利用しているうちに担当者と親しくなり、勤務先を探していない時でも連絡を取り合っていましたね。一時期、体調を崩して休養していたことがあるのですが、その時も「そろそろ働きたいのだけど、まだ体力に自信がない」と話すと、「では、健診の仕事はどうですか?」といって、健診のアルバイトを紹介してくれました。
健診のアルバイトは時給も高く、1万円程度でした。平均すると1日5時間、20日ほど勤務していましたから、収入は結構な額になりましたね。そして、法人の健診を担当するうちに、産業医の資格を取得しました。ある企業から誘いを受けたのですが、メンタルケアが主だったことと、提示された年収が1千万円未満だったこともあり、辞退したこともあります。