卒業時から医局にしがみつくことをせず、以後、医局とつかず離れずの関係を続ける。やりたい勉強をし、積みたい経験を積んだら医局の無理に残る意味はない——。意に沿わない異動を申し渡されたのを機にあっさり医局を離れ、自分の望む働き方を貫く。
——医局を離れるまでの経緯を教えてください。
非常にあっさりしたものですよ。教授から関連病院行きを「どうすんねん?」と打診されたのですが、勤務地が非常に遠く、すでに家族がいたこともあって断りました。その時、教授とは電話で話していたんですが、結局その会話だけですべて終わり。それきり、医局との付き合いはありません。
僕はこれまで自分のやりたいことだけをやってきました。卒業後は出身大学外の研修病院で臨床研修を受け、関連病院で3年間勤務した後は、他の大学病院へ内視鏡の技術を学ぶため“国内留学”。さらに別の大学で病理学を学びました。消化器内科は、内視鏡を使って短期間かつ劇的に癌を含めた疾患の治療ができるし、しっかり診療技術を身につけてしまえば、他科に比べ早く一人前になれることが魅力。僕はそのために最適と思われる進路を選んできたんです。
こんなふうですから、もしかしたら教授も「お前は今まで散々好きなことをしてきたんだから、御礼奉公くらいしろ!」という気持ちがあったのかもしれませんが、関連病院行きを断っても別に怒った様子はなく、むしろ別の病院を紹介してくれそうな雰囲気でした。
——今回は別の病院に行くことにして、医局に残るという選択肢はなかったのですか。
話を受けても良かったのですが、医局の人事で2〜3年おきに勤務先が変わるという生活に疑問を抱いていたのも事実だったので、ここでスッパリ辞めることにしました。
例えば、大学に残って「どうしてもやりたい研究をする!」とか「ゆくゆくは教授になる!」などの希望があれば別ですが、自分としては大学でなければできないことはほとんどやった。このまま医局に残っても、外へ出てもあまり変わらないだろうし、関連病院を転々としても技術の上積みはあまり期待できない。それなら外へ出ようと考えたんです。
何もない、裸一貫で医局を飛び出すのは確かにリスクがありますが、当時すでに消化器内科医としての技術がある程度身についていて、疾患の大部分を1人で診ることができるようになっていたので、それなら医局を離れてもいいかなと。あとは、求人が山ほどあったことも理由の1つですね。
——教授や医局との間にしがらみはなかったのでしょうか?
全くなかったですね。その医局は総勢100人近くいる大所帯で、濃密な人間関係を私が意図的に構築していなかったこともあり、あっさり辞められました。ちなみに私は大学病院での勤務経験がないので、教授と直接会ったことが1〜2回しかない。教授が私の顔をきちんと認識しているかどうかも、正直微妙なところです。
知り合いには、医局という存在と自分のキャリアや働き方を割り切って考えている人も多いです。教授に仲人をしてもらっていようが、頼んで留学に行かせてもらっていようが、大学で得るべきものを得たら「さよなら」って人もいましたね。私もそういった考え方のひとりです。