母親として子供2人を育てながら、心臓外科医として勤務を続けるも、外科医としての能力の限界や、自分が取り組みたい医療とのギャップに気付き、転職を決意する。転職先で公衆衛生に関心を持ったことから、今度は退職して大学院へ。現在は保健所に勤務し、地域住民の健康や衛生を支える。
——入局当時は、女性の外科医はまだ少なかったですか?
私の大学では、心臓外科が外科から独立したばかりだったので、「心臓外科医局」としては私が女性第1号でした。診療科を心臓外科に決めたのは、すごく単純な理由で恥ずかしいのですが、患者の心臓がドクドク動くのを間近で見て、命というものを強く実感し、命そのものを救える医師になりたいと思ったからです。
とはいえ、躊躇はありました。私は大学6年のときに学生結婚をしたので、入局するときには既に子供が1人いて、さらに2人目を妊娠中でしたから。それに私自身手先が器用とは言い難く、こんな私に務まるのだろうかと不安でした。
そのような私に対して、「やる気さえあれば大丈夫。できるところまでやってみよう。あかんと思ったら、進路変更すればいい」と医局の教授は温かく受け入れてくれました。その上、「どうしても心配なら、君の先輩で外科医として頑張っている女性がいるから、直接話を聞いてみたらどう?」と、1人の方を紹介してくれたのです。
少しでも不安を解消したいと思っていたので、すぐに伺いましたが、その期待は裏切られました。私の推測ですが、その方は「女性の外科医」として周囲から認めてもらうため、結婚をせず、男性医師の何倍も努力をしてきたのだと思います。そこへ、のほほんと私が現れ、ムッとしたのでしょう。「夫や子供がいる身で、ちゃんと仕事ができるの? 片手間に外科医の仕事をやられたら、周りが困るのよ」と、確かそんなふうに言われたと思います。
さすがに口にはしませんでしたが、心のなかで「子供のいないあなたに言われたくない。それなら、やってみようじゃない!」と言い返していました。その後、入局してからは、子供を保育園に預けたり両親に面倒を見てもらったりしながら、「子育て」と「仕事」を両立させました。産休中でも人手が足りないと言われれば、当直に入っていましたね。
結局、通算すると15年ほど、関連病院を転々としながら、心臓血管外科として働いてきました。そして、最後に派遣された個人病院での勤務経験が、医局の人事ローテーションから外れる転機になりました。