麻酔科医として活躍していたものの、激務が続いて体調を崩したため、医局を離れて医療行政の道へ転身。その後、十数年を経て再び医療現場に戻る。医療行政時代の経験を買われ、経営危機に瀕した地域病院へ赴任。これまでに3病院で院長を務めた。巨額の累積赤字、医師不足、閉鎖的な地域社会…、その道のりは険しかった。


松本伸夫(仮名)さん
A大学法学部を卒業後、B大学医学部に進学。1980年、B大学の麻酔科医局に入る。大学病院や関連病院で15年ほど勤務した後、医療行政の分野に転身。十数年後、再び臨床の世界に戻る。医療行政での経験を買われ、経営難の公立病院へ副院長として赴任。その後、いくつかの病院を経て、現在は総合病院で院長を務める。60代。

——まず医局を離れた理由から教えてください。
 大学卒業後、私は麻酔科の医局に入りました。医学部時代、競技スキー部に所属していて、部長が麻酔科の教授だったのです。その先生に誘われたからということと、「麻酔科医になれば救急ができるのでつぶしが利く」とも考え、2〜3年世話になるつもりで入局しました。

 30年以上前、地方では麻酔科医がさほど多くなかったので、医師1人にかかる負担が大きく、激務を極めました。朝から晩まで終日手術室を渡り歩き、お呼びがかかれば大学病院だけでなく、県内の関連病院へ夜中でも麻酔をかけに出向く。呼び出されるのは難しい症例ばかり…。そんな日々を長年続けるうちに体調を崩してしまい、それがきっかけで医局を離れました。かねてから「そのうちに辞める」と言い続けていたし、そもそも病人は戦力外ということでわりとすんなり辞められました。労災申請すればよかったかもしれません(笑)。

 その後、医学部に入る前に学んでいた専攻(法学部)も考慮して医療行政の道に進みたいと思い、後輩からの紹介で役所に転職しました。まだ小さかった子供と一緒に過ごす時間も欲しかったし、妻も大賛成でした。当初は体の具合が良くなるまでの2〜3年と考えていましたが、いろいろなしがらみもあったことで、結局10年以上医療行政に携わりました。

——医療行政から退いた後はどうされたのですか。
 ある程度業績は残したし、体調もすっかり回復したので、臨床の世界に戻りました。行政機関にいたときに知り合った人から、ある公立病院を紹介され、「院長昇進が約束された副院長」として入りました。医療行政で培った経営の才を見込まれ、不振病院の再建を託されたわけです。

 しかし入ってみたら、病院は想像以上にひどい有様でした。折しも卒後臨床研修が必修化された頃で、どこの医局も「背に腹はかえられない」と関連病院から医師をどんどん引き揚げている状況で、その病院も引き揚げによって医師の数が激減。退職する医師も出てきたことから、以前20人ほどいた医師は6人まで減り、多くの診療科がやむなく休止となりました。私の専門は麻酔科でしたが、外科系が休止となり手術も実施されなくなったため、大学病院時代に取り組んでいたペインクリニックと、やはり専門医不在になった人工透析を引き受けました。

 病院に入って1年後、当初の約束どおり私は院長に就任しました。すると、もっと多くのことが鮮明に見えてきました。巨額の累積赤字を抱えていること、労働組合が強く人事に口を出してくること、職員の働きが悪いため医師がいくら頑張っても収入が上がらないこと、大学医局から「今後、一切医師派遣は行わない」と宣言されていること、自ら改善していこうという意欲がない病院関係者が多いこと…。

 それでも私は「院長としてやるだけのことはやろう!」と日常の診療に加え、医師確保に奔走し、また事務方と計らって改善計画を作成しました。かなり厳しい計画でしたが、労働組合も「やむなし」と賛成してくれました。ところが、病院の管理者である首長が「もはや赤字に耐えられない。病院はつぶす」と言い始めました。「病院再建のために私を呼んだんじゃないのか!」と詰め寄りましたが方針は変えないというので、私は病院を去りました。