国立の精神病院に6年間勤務するうちに各種資格を取得。その後はアルバイト医となって趣味の旅行を楽しみながら、執筆やテレビ出演などメディアでの活動も始めた。「常勤でなくてもOK」「外来だけでなく入院患者も担当したい」「メディア活動も続けられる」という条件をクリアした勤務先を知人の紹介で見つけ、“フリーター生活”にピリオドを打った。


高木希奈さん
2002年に聖マリアンナ医科大学を卒業後、国立の精神病院に6年間勤務。精神保健指定医と精神科専門医、指導医の資格を取得後に退職し、アルバイト医に。趣味の旅行やスキューバダイビングを楽しむ一方で、雑誌や新聞でのコメントや執筆活動、テレビ出演なども始める。2010年に現在の勤務先「医療法人静心会 桶狭間病院 藤田こころケアセンター」(愛知県豊明市)に就職。週3日、病棟勤務や外来診療を行いながら、メディアでの活動も継続している。

——大学を卒業後、医局へ入局されなかったのはなぜですか?
 母校の聖マリアンナ医科大学は、私が卒業した2002年当時からスーパーローテーション方式を実施していました。でも、私は5年次の臨床実習(BSL)を終えた時には、精神科へ進もうと決意していました。認知症を除き、精神科疾患の多くは、画像診断や血液検査など、目に見えるもので診断がつきませんし、治療効果も判定できません。“目に見えない疾患”で苦しむ患者を助けたいと思ったので、研修で2年間もほかの診療科を回るよりは、初めから精神科一本で行こう、と決めていました。

 それに、大学病院の医局には、権力をめぐる派閥争いなどがあるようで、実際そういう噂を耳にすることもあり、入局の魅力をあまり感じませんでした。入局しないことに関して何か言われたことはありませんし、今までも特に困ったことはなかったです。

 医局に入らず、国立の精神病院で研修医として2年間勤務したあと、レジデントで3年、さらにシニアレジデントで1年間残り、結局6年間ほどお世話になりました。その間に、精神保健指定医と、精神科専門医、指導医の資格を取得。これらの資格を取ることが、精神科医としての1つの目標でした。

——資格を取得後、退職されたのですね
 ええ、そうです。精神保健指定医の資格があれば、一応は精神科医として認められたことになりますし、退職しても就職には困らないだろうと思いました。資格取得でひと区切りついたので、しばらくは自分の好きなことをしようと思い、退職を決めました。実は国立病院に勤務していた当時は、自分の自由になる時間があまり持てなかったのです。内科医や外科医とは忙しさが違うと思いますが、当直が週に4日という時期もありましたし、他の病院でのアルバイトも入れたら休みが全くないこともあったからです。

——退職後はどのように過ごしていたのですか?
 いわゆる“フリーター生活”ですね。精神病院やクリニックでの外来や当直、特別養護老人ホームの往診などのアルバイトをしながら、趣味の旅行やスキューバダイビングを楽しむ日々を送っていました。退職した直後は、忙しかった反動で、タイ、フィジー、エジプト、西表島、モルディブ、トルコ、ペルー、ロタと立て続けに旅しました。友人たちに大丈夫か?と心配されるほど遊び回っていましたね(笑)。そんな生活を1年ほど続けたあと、知人の紹介で現在の勤務先に就職しました。

——フリーター生活にピリオドを打った決め手は?
 勤務先が自分のニーズに合致していた点ですね。病棟業務を担当でき、自分の希望する勤務形態を認めてもらえ、メディアへの露出に好意的だったことです。

 私は入院が必要な重症患者の治療にも当たりたいと考えていたので、就職をするならクリニックではなく、病院がいいと思っていました。今の勤務先は300床以上あり、治験や臨床研究にも積極的です。治験にも興味があったので、その点も良かったですね。また、常勤で5日間勤務は難しいと伝えたところ、週に3日でも構わないと言ってもらえました。そこで今は、東京と勤務先のある愛知県とを行ったり来たりしています。

 フリーター生活をしていた頃から、テレビや雑誌、新聞などのメディアで精神科医としてコメントしたり、執筆したりする機会が増えていたのですが、そうした活動を理解してもらえたことも大きかったです。アルバイト先の病院から「うちへこないか?」と誘っていただいたこともあったのですが、そこの院長はマスコミ嫌いでしたから、表立ったメディア活動にあまりいい顔をされませんでした。今の勤務先はむしろ応援してくれていて、プロフィールに病院名を出すことも快く承諾してくれています。

 メディアでは主に、精神疾患や性の悩みなどについてのコメントを求められることが多いですね。うつ病などの精神疾患が知られるようになってきたとはいえ、一般にはまだまだ誤解や偏見があります。また、診療を通して、患者がもう少し早く受診してくれていたらと思うこともよくあります。精神科女医としてメディアに出ることで、精神疾患の正しい知識を啓蒙するとともに、近寄り難い精神科の敷居を低くできたらと思っています。

——ほかにこだわったことはありますか?
 その3点だけですね。自分のやりたいことをやりたいようにできれば、収入などは気になりませんでした。ただ、結果的に年収は上がりました。国立病院に勤務していた当時は、週4日勤務で月給25万円以下。現在はその3/4の勤務時間で、それ以上の収入があります。

 転職は自分のプライオリティーをしっかり決めて、勤務したい病院とよく話し合ったほうがいいと思います。例えば、当直勤務がないことを条件にしても、実際には当直のシフトを組まれたという話はよくあります。

 私の場合は、いい勤務先に恵まれたと思っています。転職する以前から、医師と結婚するためのノウハウを伝授するブログ「医者にモテるテクニックを精神科女医kina☆が伝授します♪」を立ち上げていたのですが、2012年(予定)に書籍として発売されることになりました。そんな活動も温かく見守ってもらっています。

 転職の橋渡しをしてくれたのは、講演会で知り合った看護師です。講演会やセミナーなどでは、その場で会った人がさらに人を紹介してくれることもよくあるので、興味のあるものには積極的に参加しておくといいかもしれませんね。転職を考える時、人脈があったほうがチャンスも多くなると思います。