小児科医療のあり方に疑問を感じ、総合型クリニックを運営する医療法人へ転職。小児科クリニック3カ所の立ち上げに携わり、いずれも近所で評判の人気クリニックに。その経験を生かして自身のクリニックを開業し、今は、長年思い描いてきた理想の小児科医療の実践に全力投球する。


宮島直樹(仮名)さん
1998年に大学を卒業後、出身大学の医局に入り、大学病院や関連病院に約8年間勤務した後、総合型クリニックを運営するA医療法人に転職。4年間で、小児科クリニック3カ所の立ち上げに携わる。2010年、自身のクリニックを開業。30代、妻と子供2人の4人暮らし。

——まず、「転職しよう」と考え始めたきっかけを教えてください。
 僕が医局に入った頃は、関連病院に行く代わり、何年かしたら大学に戻してもらって研究したり、海外留学したり…、というのが一般的なコースでした。ところが、入局して5年目、新臨床研修制度が導入された影響で医師が足りなくなり、医局から「申し訳ないが、もう少し関連病院を回ってくれないか」と言われてしまいました。

 その頃、徐々に現在の小児科医療に対して、「これでいいのか?」という気持ちが大きくなっていました。小児科では一番大事な、感染症をきちんと診られる医師もほとんどおらず、とりあえず抗生剤を出して患者を帰す、といった治療もなされていました。僕自身、抗生剤を使わないわけではありませんが、抗生剤が必要な病気はほんの一部であり、抗生剤を乱用すれば耐性菌を増やす原因になる。抗生剤を適正に使う小児科医療がしたかったんです。

 自分が正しいと思う医療を実践してみて、それで患者さんが来てくれるのかどうかを試してみたい。そんな気持ちが沸き起こってきました。このまま医局に所属して関連病院をまわっていても自分の理想の医療に専念することは難しいと感じていたし、元々自分の中にあった「海外での医療支援に携わってみたい」という気持ちや、尊敬していた教授が退官されたことなども重なり、医局を出ることを考えるようになりました。

——転職先はどのように探したのですか。
 医師紹介会社は一切利用しませんでした。正しい情報が入ってくるとは限りませんから。間に誰も介さずに先方と話がしたかった。

 テレビやインターネットなどで得た情報から「自分の理想とする医療ができそうな病院」を探し、直接「小児科医を募集していませんか」と問い合わせました。突然の問い合わせにも、邪険な対応をするところはなく、みな歓迎してくれましたよ。

 約4カ月間の転職活動でいくつかの病院を見学しました。その中から、総合型クリニックや介護ステーションなどを多数運営するA医療法人への転職を決めました。それからが慌ただしかったですね。年末に医局長に話し、翌春には新しい病院に赴任しました。

 医局長には「海外での医療支援も視野に入れつつ、自分の理想の医療をしてみたいので、医局を出たい」と申し出たところ、すんなり出していただけました。8年間ではありますが、それまで頑張ってきたこと、研究や海外留学の可能性が当面ないことから、許可してくれたのでしょう。ただ、僕が辞めた後には退局者が相次いだそうで、それ以降はかなり引き止められるようになったと聞いています。