医学部卒業後、医局人事で幾つかの病院に勤務したが、癌の手術後に強迫神経症を発症した母親の介護との両立に苦しみ、自身も体調を崩して休職。復帰後も状況は変わらず、派遣先から解雇通告を受けて医局を破門になった。知人や紹介会社経由で転職したが、親の他界後も、転職先の経営難、自身の難病発症などトラブルが続き、今は自宅療養を経て、アルバイトで生計を立てる生活。


前田仁さん(仮名)
内科医。A大学医学部卒業後、母校の内科に入局。医局から複数の病院に派遣される。しかし母親の介護が必要になり、仕事との両立に苦しむうち、自身も体調を崩し休職。復帰後の派遣先からも解雇され、医局を破門に。母親の他界後に知人の助力などを得て再就職するが、勤務先の経営難、自身の難病発症などが重なり、自宅療養へ。現在はアルバイト生活を送る。40歳代、独身。

——医局を破門されたそうですが、どんな経緯だったのでしょう。
 要因はいろいろありますが、母親の介護のために、勤務時間などに制約があったこと、そして介護疲れで、自分も体調を崩してしまったことが大きかったと思います。

 私の母親は、婦人科系のダブルキャンサー(重複癌)で2回の手術を受けた後に、強迫神経症を発症し、心身ともに不安定な状態で、入退院を繰り返していました。父親は私が成人する前に他界しており、一人っ子の私が全部面倒を見なければなりませんでした。母が自宅療養しているときは、日中、訪問看護をお願いしていましたが、私の勤務先に自宅から連絡が入ることもあり、そのたびに状況を聞いて指示を出すなどしていました。私自身も無理がたたったのか、絶えず胃が痛い状況で、当直はしていましたが、当時(新臨床研修制度になる前でした)の研修医としては、仕事上、かなりの制約を受けている状態でした。

 20代の若手男性医師なら、2泊3泊と当直して当たり前。それができない自分は当然、医局からはよく思われず、指導医にもずっと文句を言われていました。ただ、心身の不安定な母親のケアは思いの外負担が大きく、私自身もアレルギーが悪化し、胃痛も収まらない状況でした。

 それでも、事情を打ち明けて相談に乗ってもらえる先輩が医局にいるうちは、まだよかったのですが、彼が医局を離れた後は、「母親の介護でなぜ自分まで体調を崩すのか」と、周りになかなか理解してもらえませんでした。詳しくは知りませんが、医局も当時、医師が立て続けに大学病院を離れて、研究指導者不在の状態になったり、入局者よりも退局者のほうが多くなったりと、かなり厳しい状況にあったようです。

 そんな状況で介護と勤務を続けたところ、とうとう出血性胃潰瘍で倒れてしまいました。潰瘍が改善した後も原因不明の胃痛が続き、アレルギーもさらに悪化したため、一旦大学に戻り、事実上数カ月間の休職を余儀なくされました。復帰後は、企業系病院の健診センターに派遣されることになりましたが、教授からは「今度の勤務先で何かあったら、もう面倒は見ない」と言われました。