職場の診療体制に関しておかしいと思う点を指摘しても、事なかれ主義の上司には全く聞き入れられず、地域のために身を粉にして激務をこなしてもさほど評価されないことで嫌気が差し、入局5年目に転職を決意。医師としてのキャリアが浅いことから、医師紹介会社に相手にされず、それならばと一念発起して、猛勉強。磨いた技術と専門医の資格を武器に自力で転職を果たした。




柳 慎平(仮名)さん
医学部を卒業後、出身大学の消化器内科に入局。大学病院での臨床研修を経て、地方都市にある診療所に約5年間勤務する。2011年、自力で総合病院へ転職。30代、妻と子供2人と4人暮らし。

——臨床研修後、すぐ地方都市の診療所に配属されたのですね。
 はい。僕はプライマリケアがしっかりできる医師になりたかったので、その診療所を希望しました。内科の中で患者さんが多い消化器内科に入局したのも、自分がやりたいプライマリケアの実践に必要な力が身に付くのではないかと考えたからです。妻の実家と近かったことも大きな理由でした。

 診療所には僕のほかに、もう1人医師がいたのですが、実際に診療に当たるのは僕だけ。医師3年目でしたが、実質的な責任者として、どんな患者さんも診ました。診療所で遭遇するのはやはりコモンディジーズが多いのですが、中には心筋梗塞や胆石発作の患者さんもおられます。また、古株ばかり10人ほどのコメディカルのスタッフをまとめなければいけない立場でしたから、色々な面で鍛えられました。

 その医局では、関連病院で2年ほど勤務した後は、いったん大学病院に戻る、というのが通常のパターンでした。でも僕は期限を延長してもらい、そのまま診療所に残りました。僕のやりたい分野について指導を仰げる先生が大学にはいなかったからです。

 医局では、勤務先以外の病院で研修を受けることが許されていました。私も、診療所に赴任した当初から外部の病院で研修を受けていたのですが、そこにはその分野に詳しい先生がいたので、大学に帰るよりその先生の下で勉強させてもらおうと考えたんです。実際問題として、地方都市の診療所に行きたいという奇特な人間は、僕のほかにいなかったんですが。

——いつから転職を考えるようになったのですか。

 実は、診療所に赴任して3年目の頃には、転職を決意していました。その決意があったからこそ、医師としての力をつけようと頑張っていた面もあります。

 その診療所には、あからさまに内容を言うことはできないのですが、診療体制について当初から明らかにおかしいと思われる点が幾つもありました。いくら上司に改善を訴えても、全く聞き入れてもらえませんでした。

 人手不足のため、勤務先だけでなく、近隣にある他県の診療所まで、僕が全てカバーしていたんです。土日も関係なく、平均的な勤務医の4〜5倍は働いていたと思います。そんな状況でしたから、県外で開かれる学会などに行きたくても、「先生がいない間に何かあったらどうするの?」とすごまれると、諦めるしかありませんでした。

 理不尽な要求をしてくる患者さんも少なくなかった。ただ、それは無理もない面がありました。前任者の診療がかなりひどかったせいでした。外へ研修に行ってばかりで、診療がおろそかになっていたそうです。地元の患者さんたちには「ここにはろくな医者が来ない」という根深い先入観がありました。

 それでも患者さんの信頼を得るべく、僕は努力したつもりでした。でも、どんなに頑張っても、医局や上司からは全く評価されないんですね。それで、だんだん腐ってきてしまって…。近隣の公立病院の先生は私の倍ほどの給料をもらっている、などと聞くと、今の診療所で真面目にやっているのが何だかばからしくなりました。そんなことの積み重ねで、転職を考えるようになったんです。

 自分としてはプライマリケアを十分やれるし、診療所のトップとしてコメンディカルを束ねてきた自信もありました。でも、医師紹介会社には全く相手にされませんでした。どんなにこっちの売りを説明しても無視でしたね。卒後5年目の頃でしたし、専門医の資格も持っていなかったので、無理なかったのかもしれません。自分の市場価値を初めて知らされ、かなりショックでした。