——新しい目標ができた後、具体的にどうしたのですか。
医師として自分に残されている時間はあと12〜13年。ではどうしようかと考えて、まずは行くはずだった病院に丁重におわびをしてから、新しい勤務先を探しました。おかげさまで人を介して地域で一番評判のいい老健施設に入ることができました。前任の施設長は80歳代で、そろそろ引退したいと思っていたようです。
やるからにはきちんと一から学ばなければならないと思い、総合内科専門医の資格を取得しました。1年半くらい毎日、勉強したでしょうか。久しぶりに真剣に勉強しましたよ。
これで夢に近づけると思っていたのですが、そうはうまくいきません。施設長になって4年目の冬、経営者の放漫経営で借金がふくれ上がり、その返済のため、とあるファンドの傘下に入ることになったんです。ファンド主導で儲け主義に走ることは目に見えていたので、これを機に私は施設を辞めました。
次に移ったのが現在の老健施設です。知り合いに声をかけてもらって入りました。ファンドの傘下に入った前の勤務先は医療法人で、個人商店的な色合いが強かった。だから今度は社会福祉法人など、オープンな経営をしていて理事会もきちんと機能している組織に行こうと考え、ここに決めました。
理想の老健施設をつくるという夢を実現させるためには、年齢的にいって今回が最後のチャンス。施設長に着任して今年で6年目になりますが、大分目指す形に近づいてきました。
施設には、看護職員や介護職員など60人ほどのスタッフがいます。組織にとって、何より大事なのは人材です。医療過疎地と呼ばれる地域でいい人材を集めるのは一苦労ですし、育成も簡単ではありません。人脈を使って各職種の優秀な人を引き抜き、その人たちに現場スタッフを教育してもらっています。施設には様々な職種のスタッフがいるので、職種ごとのリーダーに教育を任せるのが一番効果的・効率的だと思っています。
より良いサービスを提供したいし、入所者の在宅復帰率ももっと上げていきたい。病院では当たり前でも介護保険施設では立ち遅れている安全管理も先取りして進めていきたいと考えています。また、全国介護老人保健施設大会などには職員とともに必ず参加し、積極的に演題発表をしています。私は参加するだけでは満足していなくて、出るからには賞が取りたい。実際に賞をいただいたこともありますよ。はじめのうち、職員はあまり乗り気ではありませんでしたが、うまく発表できたり、賞を取ったりすると、「自分たちにもやれる!」と自信がつくようです。
職員のみんなには誇りを持って仕事をしてほしいし、多くの人に認めてもらえる老健施設にしたい。もっと言えば、世間一般の老健施設へのイメージを少しずつでも変えていきたいんです。
医療機関には見えない序列があり、上から急性期、回復期、慢性期、一番下が老健施設です。私の勤務先である老健施設が属する法人には全種別の施設がありますが、「老健施設は一番下」という意識を変えてもらうためには自分が変わるしかない。だから私は主張すべきことは主張するようにしています。
例えば、急性期病院の医師から「この患者さんを引き受けてくれ」という要請があったとします。その患者さんは寝たきりで、満床になったから押し出されているだけ。そういう場合は拒否します。老健施設は、入所者が在宅に戻って生活をするために必要なリハビリを実施するところだからです。何も杓子定規に仕事をするというわけではなく、やはり主張すべきことはしたいですから。おかげでグループ内での見方は少しずつ変わってきていると思います。
——転職を考えている人に何かアドバイスはありますか。
私は老健施設の施設長に転身して10年以上になりますが、あのとき、思い切って飛び込んで良かった。ただ47歳と若かったからできたのかもしれません。アドバイスがあるとしたら、それぞれに節目や転機があると思いますが、そのときに、安全な方に進むより思い切って知らない世界に飛び込むと面白いことになりますよ、ってことかなあ。
目標があるかないかは大事ですね。70歳とかになってしまえば目標がなくても「ここでご奉公しましょうかね」という感じになるかもしれませんが、若いうちは目標がないとしんどい。私の場合、新たな目標ができたからこそ前向きに取り組めたと思っています。