大学病院の消化器内科で3年に渡り病棟医長を務めた後、チーフとの対立などが元で退局。医師紹介会社を利用して転職後、旧知のバイト先に誘われ再び転職。ところが、後に着任した副院長が勤務条件を無視したため、抗議したところその場で殴られ、警察に被害届を提出した。その後、病院側が事実関係を一切認めないため、現在、弁護士を立てて訴訟準備中という。


東山真人さん(仮名)
消化器内科医。A大学医学部を卒業後、附属病院の内科に入局。系列病院を経て、A大学病院で約3年間、病棟医長を務めた後に退局。医師紹介会社を利用してB病院へ転職後、以前からのアルバイト先C病院に誘われて転職。しかしその後、勤務条件に関するトラブルが発生し膠着状態に。現在は後輩が理事長を務める総合病院に勤務しながら訴訟準備中。40歳代、独身。

——退局されたのはどのような経緯だったのでしょう。

 私は入局から10年目で、A大学病院の消化器内科病棟医長になりました。病棟医長になる順番はほぼ年功序列で決まっていて、本来は私の前に医長になるはずの先輩がいたのですが、その先輩は後輩に極めて厳しかったため、私が病棟医長、先輩が副病棟医長となりました。病棟医長は普通、半年で交代するのですが、私は例外的に3年ほど続けていました。私が、後輩や研修医の指導が性に合っており、任期延長を申し出たことと、他になりたい医師がいなかったことが理由です。

 一方、自分の所属していた消化器内科のチーフD先生も問題の多い人でした。カンファレンスで発言せずに寝ていたり、研修医が質問してきても機嫌が悪いと答えない。患者さんに対しても、平気で長時間待たせ、診察でも目を見て話さない。知識は人一倍あるのですが、技術力が伴わず、検査や内視鏡手術で失敗することも度々でした。私は教授に、「彼がいる限り、消化器内科は良くならない」と、何度か進言しましたが、教授はいつも煮え切らない態度でした。D先生は他大学の出身なのですが、その大学の方が力関係では母校よりも上だったことが影響したようです。

 ある日の回診で信じられないことがありました。D先生が、ある患者さんのレントゲン写真をどうしても見せようとしないのです。彼が内視鏡手術に失敗した患者さんでした。手術の失敗は既に周知の事実だったのに、D先生は駄々をこねる子供みたいにレントゲン写真を抱きかかえて離そうとはしませんでした。これには心底呆れましたね。その後、何度か教授に進言したのですが、私の話はまた聞き流されました。D先生はD先生で、私が後輩たちに自分の悪口を言っていると教授や医局長に言い付けていたようです。

 さらに、ほかの医師からも、私の病棟医長の任期が長過ぎるという意見が出たようで、結局、私が解任されることになりました。3年間、消化器内科を良くしたいと自分なりに努力してきたにも関わらず、私の意見はまったく聞き入れられることがなく、病棟医長解任という結果になり、すっかりやる気も失せ、退局を決意しました。

——転職先はどのように見つけたのでしょう。

 医師紹介会社を利用しました。今は多くの医師紹介会社がありますが、当時はそれほど無かったので、ほぼすべての会社に登録してみました。全国規模の紹介会社には、私が希望する地域の求人はほとんどありませんでしたが、地元に本社があった会社からは、多数の紹介がありました。
 その中から、通勤の便が良く、「週4日勤務、基本的に内視鏡検査がメインで、それ以外に患者さんを診る場合は消化管疾患のみ」という条件だったB病院に、内視鏡センター長として着任しました。実はこの時、アルバイトをしていたC病院の外科医からも「うちに常勤で来てほしい」と言われたのですが、断りました。ですが、B病院は週4日勤務だったので、週に1度のC病院でのアルバイトは続けました。C病院の外科医からはその後も熱心に誘われ、結局、転職から1年後に、C病院へ移ることにしました。今思えば、このときB病院にとどまれば良かったのにと、後悔しています。