医師にとって、医局を離れての“転職”は人生の一大決心だ。このコーナーでは、様々な医師の転職体験談を赤裸々に語ってもらう。第1回目は、医師11年目の内科医のお話。国立大学の医局に属するごく普通の勤務医が医局外転職を決断した理由とは何か?そして、その成否は?



北川康彦(仮名)さん○1996年に九州の某国立大学を卒業。医局からの派遣で県内の関連病院に勤務。2006年に医局をやめて医師人材紹介会社を通じて関西の医療機関へ転職。腎臓内科医。

—医局を出ようと思った経緯からお聞かせください。

 私は1996年に九州にある国立大学を卒業し、そのまま出身大学の内科の医局に入って、医局からの派遣でいろいろな病院を回っていました。ごく普通の勤務医だったわけです。医師というのは10年ぐらいたつと、一人前といいますか、どんな環境でも、一人で一通りのことはできるようになります。8年目ぐらいから、これから先、自分の医師としての人生をどうしていこうかと考えるようになりました。

 1つには、私がいた医局は転勤が多いということがありました。県や医局によっても事情が違うと思いますが、私の医局は40になっても、場合によっては50になっても、2〜3年ごとに勤務先が変わっていく。しかも、関連病院が散らばっているので、だいたい引っ越しになってしまう。それがいつまで続くか分からない。若いときは全然構わないですが、結婚して子供もできると、学校のこともありますし、生活を落ち着かせたいというのが出てきました。

 それと、これも地域によって様々でしょうが、私がいた県は、昨今言われる医師不足という状況ではなく、県内の主だった病院は、医局の人事で基本的に人が供給できている。逆にいえば、県内の中核病院には、先輩の先生方がずっと残っているわけです。だからポストが空かない。私がある程度のキャリアを積んでそれなりの実力がついたのに、いつまでたっても“中堅どころ”の扱いしか受けられない。別に偉くなりたいわけではないですが、自分のやり方で自分の思うような医療をやってみたいというのもありました。

 医局を出ることのリスクも当然考えましたが、医師としてのキャリアと生活という2つの面で、メリット、デメリットを勘案して、ここで思い切って、自分で病院を探して新しい生活の場を自分で作ってみようと決断しました。

医局支配が強く関連病院のポストが空かない

—そのような形で医局を出る方は結構いるのですか。

 私のところは非常に少ないです。

—すると、みなさん開業するまではずっと医局にいる感じなんですか。

 もちろん開業する人もいますし、最後まで関連病院にいる人もいます。それと、医局の関連ではない県内の中小病院に行く人もいます。ただ、その場合も、医局のOKが出て就職する形になりますね。
 
—県内は考えなかったのですか。

 腎臓内科が専門なんですが、腎臓内科は医局が関与しないような小さい病院には科自体があまりない。だから、自分のキャリアを生かして医局を離れるとなると、県から出ざるを得なかったのです。