これまでに、医局を3度転籍しているという、総合診療科医。給与や休日の取得など勤務条件の向上を図るよりも、自分のやりたいことの実現にこだわって病院を移り、ようやくやりがいのある職場にたどり着いた。その結果、「お金には換えられないものが得られた」という。


三村和典(仮名)さん
93年に関東地方のA大学を卒業。A大学附属病院の研修医から、B大学院へ。修了後、系列のB大学で5年間助手を務めた後、某総合病院勤務を経て、C大学講師に。現在は、某総合病院に戻り、総合診療科医として勤務。39歳、独身。

——これまでの経緯をお聞かせください。

 医局を辞めるときは、「開業する」か「一般病院などへ移る」かのどちらかが多いと思いますが、私の場合、3度医局を転籍した後、一般病院へ転職しました。

 初めの医局は、卒業したA大学の附属病院です。私は糖尿病の運動療法の研究をしていたのですが、A大学では分子生物学や遺伝子学的アプローチが弱かったように思えました。そのために、研究が盛んなB大学に転籍し、B大学院で研究をしました。学位取得後は、系列のB大学で臨床医として5年間、助手を務めました。

 しかし、この医局では、系列のB大学出身者が優遇されていました。ほかの大学からの入局者は、助手にはなれても、講師以上にはなれないという暗黙の了解がありました。医局からも「ここではポストがない」ということを言われ、いくつかの関連病院への移籍を提示されたのですが、北海道や近畿地方といった遠方ばかりで、移る気にはなれませんでした。

 そこで、「1年後ならC大学の講師のポストが空く」という医局からの話を受け、一度総合病院に勤務した後、そちらに入局しました。これが3つ目の医局になります。自分では「医局を移るのはこれが最後だ」と思っていたのですが、ここは研究費の捻出に苦労するようなところでした。いろいろと考えた結果、C大学へ移る前に勤務していた総合病院へ戻りました。それが、現在の勤務先です。


——総合病院に勤務したきっかけは?


 もともとは、B大学の医局から派遣されていた病院と病診連携していた病院でした。派遣されていた時に声をかけられ、医局に戻ってからも誘いを受けていたので、初めはC大学の医局に移るまでのお付き合いと思って、お世話になりました。